10月17日(月)
ブラームスの《クラリネット五重奏曲》、私は、この曲の CD を三種類もっているけど、なぜか、三枚とも、モーツァルトのそれとあわせておさめられている。 「両者のちがいは、もう、どうしようもない。ブラームスの曲の、あの晩秋の憂愁と諦念の趣きは実に感動的で、作者一代の傑作のひとつであるばかりでなく、19世紀後半の室内楽の白眉に数えられるのにふさわしい。けれども、そのあとで、モーツァルトの五重奏曲を想うと、『神のようなモーツァルト』ということばが、つい、口許まで出かかってしまう」 吉田秀和の一文を読んで、なるほどとおもうと同時に、ブラームスのことがとても愛おしくなった。 1890年、亡くなる7年前のブラームスは、創作力の衰えを痛切に感じ、遺書まで用意した。そんな作曲家を救ったのは、クラリネットの名手ミュールフェルト。1891年、マイニンゲンで、この人の演奏する、モーツァルトやウェーバーの協奏曲を聴いたブラームスは、クラリネットのために作品を書くことを決意した。そのひとつが、この《クラリネット五重奏曲》。わずか2週間ほどで作曲されたという。 これは、たしかに、晩秋の音楽だろう。動くものをあまり目にしなくなった秋の夕暮れ。長く厳しい冬はもう目前。すっかり木の葉の落ちてしまった木々、ところどころ凍りかけている湖。そんな光景をながめながら、すぎさった季節をなつかしみ、いのちあるものを慈しむような風情。 曲想はさまざまに変化し、痛切な叫びや、あこがれを感じさせる箇所もある。だが、全体を支配するのは、吉田秀和のいうように、「諦念」。枯葉の色。モーツァルトやベートーヴェンにはかなわなかったけれど、天才たちと真っ向から立ち向かい、できるかぎりの仕事をなしとげた人間の境地かもしれない。 音楽からは、作曲家の表現意欲といったものを、あまり感じない。自然や人間に対するふかい省察を経て、あるものをあるがままに受け入れようとしているかのようだ。 この作品は、「神のようなモーツァルト」とは対照的だけれども、それに匹敵するようにおもう。ときに水墨画をおもわせる響きから、さまざまなイメージを連想させるには、モーツァルトなみの作曲技法が必要ではないか。モーツァルトが神の境地なら、ブラームスは、人間のみになしうるふかい省察と「諦念」。この、ふたつの傑作、やはり、一枚の CD におさめられるべきなのかもしれない。 さっきかけていたのは、ウィーン室内合奏団の演奏。ノルベルト・トイブルの柔らかな音色が魅力的。でも、私にとっては、ゲルハルト・ヘッツェルのヴァイオリンをなつかしむことのできる一枚。
by kalos1974
| 2005-10-17 18:43
| CD・DVD
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