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“TAKING SIDES“ 1

7月18日(月)

なおさんが教えてくださった“TAKING SIDES“という映画(DVD)を観た(7月9日、映画のサイトはこちら)。20世紀最高の指揮者といわれるヴィルヘルム・フルトヴェングラー Wilhelm Furtwängler の「非ナチ化裁判」を題材にした映画。内容をわすれてしまわないうちに、感想を書いておきたい。しかし、そのまえにまず、フルトヴェングラーとナチとの関係についてふれておこう。

周知のことだとおもうが、フルトヴェングラーは、一度も、ナチ党に所属したことはない。この点でまず、カラヤンのように、積極的にナチにくわわった人物とは区別されなければならない(カラヤンは、1933年4月、当時ナチが非合法だったオーストリアで入党し、さらに5月には、ドイツ国内でもナチ入党の手続きをとっている)。しかも、フルトヴェングラーは、ナチの藝術政策に対して、終始、反対の立場をとりつづけたのだから、「非ナチ化裁判」自体、ある種の「ガス抜き」のためにおこなわれたという見方さえある。

ヒトラー政権が誕生したのは、1933年1月。同年3月、フルトヴェングラーは、ベルリンで指揮。演奏終了後、ヒトラーが指揮者のもとに歩み寄り、手をさしだす。握手を拒むのは失礼だろう。だが、このときの写真が宣伝につかわれ、その結果、後年、フルトヴェングラー=親ナチというイメージが、生まれてしまった。しかし、この時点で、ナチ政権がどんなことをはじめるか、洞察していた人が、どれほどいただろうか。

ナチの音楽政策がだれの目にも明らかになったのは、1934年。ナチは、ヒンデミットのオペラ《画家マチス》をはげしく攻撃した。これに対し、フルトヴェングラーは、このオペラを題材とした交響曲《画家マチス》を初演し、さらに、新聞紙上で、ヒンデミットを擁護する意見を公開した。当然、ナチに睨まれることになったフルトヴェングラーは、抗議の意味をこめて、すべての職を辞し(ちなみに、辞職したフルトヴェングラーの代わりとしてやってきたのは、クレメンス・クラウス)、国外に出ようとしたが、パスポートが発行されず、断念。

ナチは、フルトヴェングラーの利用価値(宣伝効果)を知っていたから、多少の譲歩をしても、この指揮者を国内にとどめておきたかったようだ。フルトヴェングラーのほうも、自分がいなくなれば、オーケストラが破綻することはわかっていたので、ドイツにとどまったらしい。それに、たとえ嫌な相手からであっても、ドイツ一の音楽家ともてはやされて、わるい気もしなかっただろう・・・。「自由な人間として藝術だけに奉仕する」というコメントを出して、音楽活動を再開。その結果、ベルリン・フィルは財政的援助をうけ、オーケストラのユダヤ人に危害がおよぶこともなくなった。しかし、これを「宥和」と見る人も、当然いる。

1936年のニューヨーク・フィルからの藝術総監督就任依頼も、フルトヴェングラーにとって、気の毒だった。この依頼をアメリカの新聞はすぐに報じた。そして、それを見たゲッペルスは、ただちに、「フルトヴェングラーが、ベルリン国立歌劇場総監督に復帰する」と発表。このとき、エジプトにいたフルトヴェングラー本人は、完全に蚊帳の外。ちなみに、1934年7月にプロイセン枢密顧問官に任命されたときも、事前に本人の承諾はまったくなかったらしい(「任命したから」でおわり)。さて、独米間のやりとりを見たフルトヴェングラーは、「面倒なことになってきた」とおもったのか、ニューヨーク・フィルに対し、「政治に巻き込まれたくない」と返事。これが、アメリカ人に、フルトヴェングラー=親ナチの印象を植えつけることになってしまった。

1938年、ナチはオーストリアを併合。ウィーン・フィルを解散させようとした。フルトヴェングラーはこれに反対。頻繁にウィーン・フィルとの演奏をつづけた。1939年になって、ヒンデミットやヴァルターなどのユダヤ人は亡命したが、「純アーリア人」のフルトヴェングラーはドイツにとどまる。そして、戦争勃発。フルトヴェングラーは、楽団員の徴兵免除のためにはたらいたり、強制収容所に送られそうになった多くのユダヤ人を助けたりした。占領地での演奏は拒否しつづけた。1945年1月、自分の逮捕状が用意されていると聞き、ついにスイスへ脱出。

以上が、フルトヴェングラーとナチとの関係のあらまし。で、映画は、この人物が、ドイツにとどまったことの意味を描こうとしていた。偉大な藝術家、しかも、宣伝効果をもった人物が、全体主義国家にのこるというのはどういうことなのか、政治と藝術は、はたして無関係でいられるのか、そうしたことが、テーマだったようにおもう。

(つづく)
by kalos1974 | 2005-07-18 23:14 | すこしまじめな考察
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