7月27日(水)
毒舌を見ていくのは痛快で面白い。しかし、毒舌だけだと、一種の歯切れのよさは味わえても、大切ななにかが欠けてしまうような気がする。そこで、チェリビダッケがみとめている演奏家も紹介しておきたい。 まずは、ハスキル。 「Eine wundervolle Konzertspielerin, geistvoll, charmant, durch und durch musikalisch. Viel Humor, viel Lebensfreude(S. 61) すばらしいコンサート・ピアニスト。機知に富み、魅力的で、徹頭徹尾、音楽的。ユーモアと生きる歓びに充ちている」 チェリビダッケがここで用いている語は、「機知」。文字通り訳すと、精神 Geist が voll いっぱいなこと。それに、ユーモアと生の歓び。 リパッティーのことも手放しに賞賛している。 「Ein großartiger Klavierspieler und ein wunderbar tiefgründiger Musiker(S. 61) 立派なピアニストで、すばらしく深遠な音楽家」 びっくりするくらい、ふかいところに tief 、自分の音楽を基礎づけている günden 人、つまり深く根をはった音楽家と見なされている。 オイストラフについてはこんな感じ。 「Ein einmaliger, schlechthin idealer, großartiger Musiker(S. 63) 不世出の、ただただ理想的で、立派な音楽家」 さらに、ミケランジェリやフランク=ペーター・ツィンマーマンに対しても、「天才」といった賛辞がおくられている。 指揮者ではフルトヴェングラー。 「Das Heiligtum meiner Erinnerungen(S. 33) 私の思い出のなかの聖域」 辛口のチェリビダッケをして「聖域」とまでいわしめるなにかがあったらしい。フルトヴェングラーは二キシュから多くを学んだはず。ということは、チェリビダッケの得たものは、ドイツの指揮者がひきついできた「なにか」なのだろうか。 「Außer Furtwängler habe ich von keinem Dirigenten etwas gehalten“(S. 35) フルトヴェングラー以外の誰からもなにか影響をうけたことはない」 「Ich wollte nicht Nachfolger von Furtwängler werden. Keiner kann Nachfolger von Furtwängler sein“(S.33) 私はフルトヴェングラーの後継者になろうとしたことはない。フルトヴェングラーの後継者になれる人なんていない」 深い影響をうけながらも、フルトヴェングラーにはなれないことを自覚していたチェリビダッケ。おそらく、チェリビダッケにかぎらず、20世紀後半に活躍した指揮者はみな、フルトヴェングラーとは別の路線を追究しなければならなかったろう。 チェリビダッケのみとめるのは、いずれも20世紀を代表する人たちである。あえて共通点をさぐると、精神的なものを追究した音楽家ということができるだろうか。「精神的」というのは、実に曖昧な言葉だが、さしあたり、「表面的な美しさに満足するのではなくて、真理にまで達しようすること」と捉えておきたい。そして、そのために、こうした音楽家は、他の演奏家たちよりも、響きを重視したのではないだろうか。このあたり、なんともむずかしいが、繊細な音であれ、深い響きであれ、単なる感覚的な心地よさではなくて、それを突き抜けた響き。そうした音楽を追究した人に、チェリビダッケは敬意を払っているような気がする。 (つづく)
by kalos1974
| 2005-07-27 19:00
| すこしまじめな考察
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