カテゴリ:演奏会( 22 )

ザルツブルク音楽祭 2

8月6日(土)

20時から、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会。

この演奏会にきたいちばんの理由は、会場のフェルゼンライトシューレ Felsenreitschule を見たかったから、といったら怒られるだろうか・・・。2001年だったか、祝祭大劇場のガイド・ツアーに参加したときに見学させてもらえなかったので、どんなところかずっと気になっていた。

当夜のプログラムは、
F. Schreker: Vorspiel zu einer großen Oper für großes Orchester
L. v. Beethoven: >Ah! perfido<
G. Mahler: Symphonie Nr. 4
で、指揮は D. Gatti 、ソプラノは K. Mattila 。

後半のマーラー、またしても、ウィーン・フィルの響きに酔ってしまった。実に洒脱。弦がかなり大げさに泣くさまは、ホイリゲの音楽のよう。けれど、下卑たところはまったくない。ここまで大胆に演歌調の演奏ができるのは、やはり、マーラーを知り尽くしているという自信があるからだろう。わがバイエルン放送交響楽団の評価がウィーン・フィルより下だとすれば、それは、――伝統やブランド力といったことは別にして――羽目をはずした演奏がなかなかできない点にあるかもしれない。バイエルン放送交響楽団は、燃えるときも、生真面目なんですよね。ウィーンとミュンヘンは電車で4時間半ほどの距離なのに、かなり気質がちがう(日本だって、東京と大阪では、ずいぶんちがいますね)。

ガッティーの指揮は、小気味よいテンポで軽快。よく歌うウィーン・フィルと相俟って、マーラーの「お伽話」のような側面というか、牧歌的な面を、あざやかに描いていく。ただ、第三楽章から、テンポを落としたのが裏目に出て、後半、やや弛緩した演奏になってしまった。ソプラノの Mattila は、前半のベートーヴェンでは、力の入りすぎた歌いかたにおもえたが、マーラーでは、語りかけるような歌唱を聴かせてくれて、満足。

演奏終了後、フェルゼンライトシューレの舞台附近を探索。「ほんとうに岩山をくりぬいてるんだなあ」などと感心しながら、写真を撮ったりしていたら、係員に「はやく出てください」といわれてしまった。どうやら、私がいちばん最後までのこっていたみたい。かなり恥ずかしかった。それにしても、カメラが見つからないと、せっかく撮った写真が見られない・・・。
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by kalos1974 | 2005-08-10 01:37 | 演奏会

クルト・モルのリサイタル

7月19日(火)

20時から、プリンツレーゲンテン劇場 Prinzregententheater で、クルト・モル Kurt Moll のリサイタル。ピアノはシュテファン・イルマー Stefan Irmer 。

今日は、お昼すぎまでよい天気だったのに、夕方から雨。しかも、ときにはげしく降る。ミュンヘンは、このところ、雨が多く、最高気温も25度くらい。こうなると、6月の35度がなつかしい(笑。
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地下鉄で3分。劇場についたころ、雨はあがった。

今日のリサイタル、クルト・モルの人気と実力がよくわかるものだった。モルが舞台に現われるやいなや、万雷の拍手。ものすごい歓迎ぶり。3分くらいつづいただろうか。ミュンヘンっ子に敬愛されている人。

曲がはじまると、左右から、やわらかな声につつまれた。どうしてだろう? とにかく不思議な経験。それはともかく、モルは、オペラのときと同じ、余裕の歌唱。ふつうに語っているふうにしか見えなくても、歌が生まれる。高音をたなびかせたかとおもうと、つぎの瞬間、低音を響かせたりして、まったく自由自在。前半は、とくにシューマン R. Schumann で、深い森のような、あるいは、とうとうと流れる大河のような声が印象的だった。

休憩のとき、外に出たら、劇場が夕日に染まっていた(21時ごろなのですが)。
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劇場のまわりをそぞろ歩いている人たちの口から出るのは、「すごい super!」とか「すばらしい toll!」とかいった言葉ばかり。まったく同感。

後半のレーベ C. Loewe は、おどけた歌詞を、軽く巧妙な語り口で歌い、滑稽な雰囲気を醸し出していた。エンターテイナーとしても、一流。しかも、単に「おもしろい」だけではなく、そこに、なにか人生の悲哀のような彩りまでそえるのだから、やはり、ただものではない。

私が生まれたときには、すでに、バイロイトやザルツブルクで活躍していた人が、いまだに、ものすごい歌唱を聴かせることに驚嘆した。バイエルン、ハンブルク、ウィーンの宮廷歌手 Kammersänger という称号はダテではない。ピアノのイルマーという人も、見事にモルを支えていたし、表現力も実に豊かだった。

演奏がおわると、ホールがうなるほどの拍手。聴衆は総立ち。ものすごいことになった。ミュンヘンの聴衆があんなに興奮するのはめずらしい。
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by kalos1974 | 2005-07-20 18:38 | 演奏会

おわりよければすべてよし

7月14日(木)

20時05分から、ヘラクレスザールで、バイエルン放送交響楽団の定期演奏会。今シーズン最後。

曲目は、
Tschaikowsky: >Romeo und Julia<
Brahms: Violonkonzert
Prokofjew: >Romeo und Julia<
で、 M. Rostropowitsch の指揮。ヴァイオリンは、 M. Kishima 。

前半のブラームス、ソリストには重荷だったようだ。休憩のとき、友人がきついひとことを発した。「もし Frau Kishima の体調がわるいのでなかったのなら、選曲をまちがえたか、共演するオーケストラをまちがえたかだ」。このソリスト、日本人なので、私としては、応援したいのだが、友人の言葉に、賛成せざるを得ない・・・。

まず音が貧弱。しかも、フレーズが最後まできっちり響かないから、すぐオケに埋没してしまう。つぎに、音が洗練されていない。バイエルン放送交響楽団という、このうえなく典雅な響きを奏でる楽団と共演するからには、磨きぬかれた音でないと、わるい意味で目立ってしまう。ソリストが、オーケストラの美しさを際立たせてどうするんだ。そのうえ、何度か音程をはずしかけた。最後に、ブラームスの世界を把握しきれていないのだろうか。弛緩した演奏になってしまった。

正直にいうと、感心したのは、第二楽章の木管のアンサンブルの見事さと、オケの気遣いだけ。ソリストをやさしく見守りながら演奏していた。私のような素人でさえ、こう感じたんだから、某オーケストラに所属している友人の批評はとまらない・・・。すこしは、私が日本人だということを気にかけてほしいのだが・・・。

プログラムによると、 Kishima さん、まだ19歳のようだし、たぶん、超一流の楽団と共演したことがなかったんだろうなあ。すこしかわいそう。真面目な感じはしたんだけどなあ。ミュンヘンの聴衆のなまあたたかい拍手を糧として、精進してほしい。

後半は、バイエルン放送交響楽団の巧さが存分に発揮された快演。ものすごいスピードなのに、みんな軽々と弾いている! あのスピードでふくらみのある音を出せる金管って、いったい・・・。第二ヴァイオリンやヴィオラの豊かな音色。しかも、オケ全体の響きは、決して濁らない。すごすぎる。参りました。降参です。あなたたちの来日公演には絶対いきますからね。
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演奏会終了後、友人ふたりと、歌劇場の向かいにある Spatenhaus で、ビール。この店は、まあまあおいしいものを出すけど、ちょっと高い。
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by kalos1974 | 2005-07-15 09:06 | 演奏会

ボストリッジのリサイタル

7月10日(日)

20時から、プリンツレーゲンテン劇場 Prinzregententheater で、Ian Bostridge のリサイタル。ピアノは、 Julius Drake 。オール・シューベルト・プログラム。

昨年、日本で、《美しき水車小屋の娘》を聴いたとき、それほどよい印象をうけなかったので、あまり気がすすまなかったのだけれど、妻が、「あのときは、体調がわるかったのかもしれないよ。せっかくうちの近くでやるんだから、いってみよう」というので、チケットを買ったもの。

19時すぎのミュンヘンは、運わるく、豪雨。「ちみの行いがわるいから、こうなるんだ」、「その言葉、そっくりお返しします」などといいあいながら、劇場へ。
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前半はいまひとつ波にのれないというか、身体全体をつかって歌うのに、声がついてこない感じ。大げさな身ぶりだけが目立つ。それに、単語末尾の "t" の音が強調されすぎて耳障り。「ッ」が響きすぎ。

やはりよい歌手なんだなと思ったのは、後半。ピアノに手をつこうとして、すべってから。

大きな声が嫌味なく響くようになったし、ふつうの声量でも、声がまろやかに伸びるようになった。やや暗めというか、憂いをおびた声も曲にぴったり。深く透き通った湖のよう。
ただ、小声でささやくような箇所は、なにをいっているのか、いまひとつ、聴こえてこなかった。響きすぎるくらい響く大きな声との差がありすぎたかも。

しかし、そうはいっても、"Aus Heliopolis Ⅱ"、"Sei mir gegruesst"、"Dass sie hier gewesen"、それにとても軽妙にまとめた"Die Forelle"あたりは、すばらしい演奏。シューベルトの世界が開けたような気がする。
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by kalos1974 | 2005-07-11 07:27 | 演奏会

かけがえのないオーケストラ

2005年6月25日(土)
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19時30分から、楽友協会大ホールで、ウィーン・フィルの演奏会。指揮は、メータ。実は2年まえの3月に、この組み合わせで、ベートーヴェンの《交響曲第3番》を聴いたときに、いたく失望した(前半のシューベルト《交響曲第5番》がとても瑞々しい演奏だったので、期待しすぎたのかもしれない)し、メータはバイエルン国立歌劇場の音楽総監督なので、「またメータか」などと、かなり失礼な感想をもったのも事実。でも、チケットがとれたのは有り難いこと。もちろん、よろこんで参上した。

それにしても、このホールはほんとうに美しい(響きは、チューリヒのトーンハレのほうがよいかもしれない)。1993年(? の3月にはじめてここでウィーン・フィルを聴いたとき(プレヴィンの指揮で、モーツァルトとマーラーだった。ソプラノ独唱はマクネアー)には、とにかく興奮してしまって、どんな演奏だったかも覚えていないが、私も30をすぎて、ひねくれてきたのだろうか、割りと落ち着いて演奏会にのぞめるようになった。
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当夜のプログラムは、
A. Webern; Sechs Orchesterstuecke
L. v. Beethoven; Konzert fuer Violine und Orchester
R. Strauss; Also sprach Zarathustra
で、ヴァイオリンは、 M. Vengerov 。

ベートーヴェンの協奏曲は、ヴェンゲーロフの自己主張が目立った。非常に輝かしい音色で軽々と弾いてみたり、とてもゆっくりと情感をこめてみたりするのだが、私には、やや「くさい」演奏に思えた。一方のウィーン・フィルは、まさに王道。小賢しいところは一切なく、まるで、ヴェンゲーロフに、「ベートーヴェンはこう演奏するんだよ」と教えているようだった。

後半の《ツァラトゥストラ》も、ウィーン・フィルの実力が遺憾なく発揮されたもの。どうして、このオケの響きは、あんなに素晴らしいんだろう。わが、バイエルン放送交響楽団に、ちょっぴりメランコリックな風情と洒脱さがくわわった感じ。絹織物のような光沢というか、シャンパンのような色合いというか、とにかく惹きつけられる響き。軽々としていているのに、同時に、とてもとても深い音を出す。しかも、当夜は、あの大曲を、まるで室内楽のように演奏した。各パートがお互いの演奏を聴きながら、瞬時に、いままさにもとめられている音色を奏でるのだ。もうなにもいうことはない。ウィーン・フィルの実演に接することのできた「有り難さ」をかみしめるのみ。
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by kalos1974 | 2005-06-25 21:11 | 演奏会

ミーハー

6月19日(日)
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演奏:ベルナルト・ハイティンク指揮、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
曲目:ブルックナー《交響曲第9番》

昨日の感動が大きすぎたせいか、どうも、それほど感銘を受けなかった。オーケストラは、間違いなく、世界レヴェルだと思う。それに、いうまでもなく、ハイティンクは、地味だけれど、職人肌で、確実な仕事をする人だ。なにがいけなかったのか。いまだによく分からない。

ひょっとすると、オーケストラの響きが明るすぎたのかもしれない。金管はまぶしいくらいの輝かしさだし、木管も瑞々しい。弦は、充分深い響きではあるが、やや粗い感じ。麻の織物みたいといえばいいだろうか。すこしだけざらついて、光を反射する。さらに、管と弦が分離していた気もする。もちろん、縦の線は合っている。でも、管と弦が、それぞれ別の曲を演奏しているような印象を受けた。
ハイティンクは、渾身の力をこめて指揮しているのだけれども、その気合が、どうもオケに伝わりきらない。第2楽章の冒頭は、地獄から使者がやってきたかのような戦慄を覚えたが、あとはどうも・・・。

ヨーロッパの聴衆は正直だ。拍手のエネルギーがすくない。両隣の人(昨日と同じ人が座っていた。昨日は立ち上がって拍手をしていた)も、いかにもお座なりな手のたたき方。ハイティンクも納得がいかなかったのだろう。あっさりお開き。
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実は、ホールで知り合い(これがまたすごい人で、1泊3日といった日程で、日本から音楽会にくる)に似た人を見かけたので、演奏会終了後、しばらくロビーをうろついていた。中央附近で売っている CD を、なにげなく見ていると、テーブルに、「演奏会終了後、ベルナルト・ハイティンクが、指揮者の部屋で CD にサインします」と書いた紙が貼ってあるではないか!うわぁー、ミーハーの血が騒ぐ(グルベローヴァのサインをもらったというモチ子さんのことを思い出したりして―すみません)。さっそく、購入(爆。

こうなると、知り合いはどうでもいい(ごめんなさい。指揮者の部屋がどこにあるか訊いて、列にならぶ。待つこと10分あまり、私の順番がきたよ。目のまえにハイティンクがいるよ。どきどきどき。無言で CD を差し出すのも失礼かと思い、「昨年、日本とウィーンで、あなたがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮された演奏会を聴けたのは、私にとって、大きな幸せでした。そして今日また、チューリヒで・・・」といったら、マエストロが、「ありがとう。日本からわざわざ聴きにきてくれたのですね」だって。「いいえミュンヘンからです」ともいいにくいので、つい「はい」といっちゃいました。どうしよ、ハイティンクと話しちゃったよ。ポカーンとしているうちに、サインしてくれた。

こうなると、当夜の演奏が、私にとって、イマイチだったことはどうでもよくなる。われながら、とっても軽薄。
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by kalos1974 | 2005-06-19 22:19 | 演奏会

得がたい経験

6月18日(土)
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演奏:ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、ライプツッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
曲目:ブルックナー《交響曲第8番》

いままでなんどか、ただただ幸せな演奏会というものを経験した。知らない間に惹きこまれ、気がついたら、コンサートがおわっている、「もう一度はじめから聴きたい」と思わせる演奏会。当夜のコンサートも、間違いなく、そのなかのひとつに入る。

ブロムシュテットは、とてもやさしい人だと思う。音楽だけでなく、おそらく、さまざまなものを慈しんでいる人。ゲヴァントハウス管弦楽団もまた、とても善良な人たちの集まりじゃないかな。勤勉で、一徹、ユーモアもあって、毎日を真面目に生きている人たち。この夜の演奏を聴きながら、そんなふうに感じた。もちろん、見事なブルックナーを聴かせてくれたのだけれども、音楽を超えて、なにか、絶対的な価値が、直接的に開示された演奏だった。言葉にすると、とても大げさになってしまうが、誠実に生きることの尊さとか、そもそも、この世界が存在していることの「有り難さ」のようなもの。

ゲヴァントハウス管弦楽団は、こんなによいオーケストラだったろうか? 以前聴いたときと、ずいぶん印象がちがう。
「ドイツ的なオーケストラ」という常套句がある。たぶん、低弦がしっかりしていて、なんとも木質な響きをもった楽団のことをいうのだろう。だとしたら、ゲヴァントハウス管弦楽団こそ、まさにそれ。ごく自然に、「ドイツ的なオーケストラ」そのもの。なんの力みもない。響きがとても充実していて、まろやか。やわらかくて、ふくらみがある。あえて難をいえば、木管がいまひとつ精彩に欠けたかもしれないが、充分許容範囲というか、ああいう愛に充ちた演奏(恥ずかしい表現だが、ほかにいいようがない)のまえでは、技術がどうとか、そういった話は、軽薄でしかない。
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演奏終了後、ブラボーの声とともに、ものすごい拍手。ホールが揺れた。指揮者がさがっても、みな一心に手をたたいている。ブロムシュテットは、オケに、立つよう促すが、楽団員たちは、ブロムシュテットに向かって拍手をしている。拍手に値するのは、あなただといわんばかり。そして、ブロムシュテットは、楽団員に深々と頭をさげる。聴衆、オーケストラ、指揮者のそれぞれが、お互いに感謝しあっている。この光景を見られただけでも、チューリヒにきた甲斐があった。
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by kalos1974 | 2005-06-18 22:24 | 演奏会

やっぱりこのオケが好き

6月17日(金)
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今日は、20時05分から、ヘラクレスザールで、R. ムーティー指揮、バイエルン放送交響楽団の演奏会。
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たしか2003年の3月に、この組み合わせで、ケルビーニのミサ曲を聴いて、とても感動したことがあるので、今日のコンサートは、ずっと気になっていた。例によって売り切れだったが、このまえの日記に書いたように、ようやく、キャンセルが出た。そういうわけで、私にはめずらしく、1階9列目センターという高い席(43ユーロ)。

プログラムは、
W. A. Mozart; Symphonie Nr. 35 >Haffner<
J. Haydn; Cellokonzert Nr. 1
A. Skrjabin; Symphonie Nr.3
で、ソリストは J. Moser。

最初のモーツァルトは、もうお手のもの。優雅で、軽やかで、しかも情熱も感じさせて、いうことなし。弦は透明なのに、なぜかふくよか。若葉に落ちる朝露、そんな光景を思わせる木管の響き。モーツァルトの演奏で、このオケに対抗できるのは、おそらくウィーン・フィルだけじゃないかなと勝手に思っている。ムーティーは、オケを適度に統制しながら歌わせるのがとても巧み。信頼して聴いていられた。

2曲目のハイドンも、曲の上品さを存分に楽しませてくれた。この楽団には、古典派の曲がいちばん合っているのかもしれない。ソリストのモーザーは、溌溂とした演奏。チェロをあんなに軽々と弾く人はめずらしい。2楽章で一度音をはずし、3楽章でも危ういところがあったけど、それはまあ、ご愛嬌。

後半のスクリャービンは、はじめて聴く曲なので、なんとも感想を記しにくいが、バイエルン放送交響楽団の巧さというか、機能性が十二分に発揮された演奏だったと思う。どんなに音が大きくなっても、決して、うるさくならない。響きが濁ることはなく、各パートがよく聴こえてくるのに、全体が見事なハーモニーを奏でる。もちろん、単に巧いだけではなくて、感情の高まる箇所では、弦が情熱的に泣いたりする。響きによって曲想を充分に表現できるのが、このオケのすごいところ。

演奏終了後、拍手にこたえて、ムーティーは、5回ほど舞台に出てきてくれた。聴くほうは楽だけど、演奏するほうは、なかば命がけでやってるんだろうなあと感じさせるような顔だった。
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by kalos1974 | 2005-06-17 22:30 | 演奏会

今年最後のミュンヘン・フィル

6月15日(水)
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今日は、ミュンヘン・フィルの演奏会。

曲目は、
Haydn; Symphonie Nr. 102
Mahler; Symphonie Nr. 4
で、指揮は I. Fischer。

ハイドンは、いまひとつ、軽妙さに欠けた演奏だった。指揮者とオーケストラが、かみ合わないというか、オーケストラの反応が、ほんのワンテンポだけずれている感じ。フィッシャーの身振りがだんだん大きくなり、ついには声まで出はじめた。すこし気の毒。
最近のミュンヘン・フィルはとくに、分厚い響きになってきている。そのせいか、ものすごく大げさなハイドンに聴こえた。フルートのソロをはじめとして、管楽器はとても見事だったけれど、私が期待していたハイドンとはちがった。

後半のマーラーは佳演+快演。プログラムによると、この曲は、1901年11月25日に、ミュンヘンのカイム・オーケストラによって初演されたらしい(指揮はマーラー自身)。カイム・オーケストラは、ミュンヘン・フィルの前身だから、要するに、この曲を初演したオーケストラの演奏を聴いたことになる。初演したオーケストラがよい演奏をするとはかぎらないけれど、私が生で聴いたなかでは、いちばん共感できる演奏だった。
フィッシャーの曲づくりは、とても丁寧。耽溺する場面の入念さは、フィッシャーがすぐれた指揮者であることを証明していたように思う。一転、盛りあがる箇所では、オケの自発性にまかせ、オケのほうも、もちまえのパワーで、それに、応えていた。2楽章と3楽章に現れる、マーラー特有の、むせかえるような甘美さというか、夢見るような感じを、もうすこしだけ強調してほしかったような気もするが、あまりやりすぎると下品になるよね。ちょうどよかったのだと思う。ソプラノの M. Jankova もよく通る声で、かたりかけるような歌唱。

今回の滞在でミュンヘン・フィルを聴けるのは、これが最後。とても真っ当な演奏でよかった。
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by kalos1974 | 2005-06-15 23:08 | 演奏会

こうでなくては!

6月4日(土)

今日はミュンヘン・フィルの特別演奏会。お昼すぎに、すこし強めの雨が降ったので、傘をもっていこうかどうしようか、すこし悩んだが、18時ごろには青空がのぞいた。なんだか毎日のようにガスタイクに出かけている。だいたい、トラムで10分というのがまずい。それに、ずっとミュンヘンにいるわけじゃないんだから、いけるうちにいっておかなきゃね。

曲目は、
R. Strauss・・・・・"Tod und Verklaerung"
R. Strauss・・・・・"Till Eulenspiegels lustige Streiche"
J. Brahms・・・・・Symphonie Nr. 1 c-Moll op. 68
で、指揮は、Ch. ティーレマン。

今日は、なんとなくオケの様子がちがう。出だしから気合を感じて、思わず、居住まいを正した。

《ティル》は躍動感にあふれた演奏。テンポの揺れが曲想にぴったり合っていて、知らない間に、引き込まれてしまった。実に生き生きとしている。オケも、悪戯者にぴったりの、お茶目な音を出す。後半の盛りあがる箇所で、某金管が音をはずした(ヨーロッパのオケで金管が音をはずすのをはじめて聞いた)が、そんな失敗なんかどうでもよいと思わせる好演。

後半のブラームスは圧巻。どっしりとしていて、ティーレマンの面目躍如といったところか。第1楽章がおわったところで、拍手が湧き起こったのも肯ける熱演。ただ熱いだけではなく、入念さも感じさせらた、周到にして熱い演奏。

個人的には第2楽章がいちばん気に入った。弱音のなんと美しかったこと。単に音がちいさいのではなく、エネルギーの充実した弱音。なのに、繊細にして感じやすい響き。オスカー・ベッカー Oskar Becker の「美のはかなさ Hinfaelligkeit des Schoenen 」という言葉を思い出した。

終楽章も、力強い響き。弦の合奏の美しさには呆然とした。先日のベートーヴェンとちがって、ヴァイオリン、チェロ、コントラバスが重層的に聴こえる。管楽器もふくめ、音が大きくなっても、決して濁らない。

ティーレマンも機嫌をよくしたのだろう。めずらしくアンコールを演奏。ベートーヴェンの《エグモント序曲》。のりにのったオケのアンコール、もう、「すばらしい」という言葉しか出てこない。
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ひさしぶりに「携帯を切れ」という表示を見た。実は、昨日の演奏中に携帯を鳴らした人がいたのだが、そのせいかな。
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by kalos1974 | 2005-06-04 23:27 | 演奏会