カテゴリ:すこしまじめな考察( 7 )

チェリビダッケ語録 2

7月27日(水)

毒舌を見ていくのは痛快で面白い。しかし、毒舌だけだと、一種の歯切れのよさは味わえても、大切ななにかが欠けてしまうような気がする。そこで、チェリビダッケがみとめている演奏家も紹介しておきたい。

まずは、ハスキル。

「Eine wundervolle Konzertspielerin, geistvoll, charmant, durch und durch musikalisch. Viel Humor, viel Lebensfreude(S. 61) すばらしいコンサート・ピアニスト。機知に富み、魅力的で、徹頭徹尾、音楽的。ユーモアと生きる歓びに充ちている」

チェリビダッケがここで用いている語は、「機知」。文字通り訳すと、精神 Geist が voll いっぱいなこと。それに、ユーモアと生の歓び。

リパッティーのことも手放しに賞賛している。

「Ein großartiger Klavierspieler und ein wunderbar tiefgründiger Musiker(S. 61) 立派なピアニストで、すばらしく深遠な音楽家」

びっくりするくらい、ふかいところに tief 、自分の音楽を基礎づけている günden 人、つまり深く根をはった音楽家と見なされている。

オイストラフについてはこんな感じ。

「Ein einmaliger, schlechthin idealer, großartiger Musiker(S. 63) 不世出の、ただただ理想的で、立派な音楽家」

さらに、ミケランジェリやフランク=ペーター・ツィンマーマンに対しても、「天才」といった賛辞がおくられている。

指揮者ではフルトヴェングラー。

「Das Heiligtum meiner Erinnerungen(S. 33) 私の思い出のなかの聖域」

辛口のチェリビダッケをして「聖域」とまでいわしめるなにかがあったらしい。フルトヴェングラーは二キシュから多くを学んだはず。ということは、チェリビダッケの得たものは、ドイツの指揮者がひきついできた「なにか」なのだろうか。

「Außer Furtwängler habe ich von keinem Dirigenten etwas gehalten“(S. 35) フルトヴェングラー以外の誰からもなにか影響をうけたことはない」

「Ich wollte nicht Nachfolger von Furtwängler werden. Keiner kann Nachfolger von Furtwängler sein“(S.33) 私はフルトヴェングラーの後継者になろうとしたことはない。フルトヴェングラーの後継者になれる人なんていない」

深い影響をうけながらも、フルトヴェングラーにはなれないことを自覚していたチェリビダッケ。おそらく、チェリビダッケにかぎらず、20世紀後半に活躍した指揮者はみな、フルトヴェングラーとは別の路線を追究しなければならなかったろう。

チェリビダッケのみとめるのは、いずれも20世紀を代表する人たちである。あえて共通点をさぐると、精神的なものを追究した音楽家ということができるだろうか。「精神的」というのは、実に曖昧な言葉だが、さしあたり、「表面的な美しさに満足するのではなくて、真理にまで達しようすること」と捉えておきたい。そして、そのために、こうした音楽家は、他の演奏家たちよりも、響きを重視したのではないだろうか。このあたり、なんともむずかしいが、繊細な音であれ、深い響きであれ、単なる感覚的な心地よさではなくて、それを突き抜けた響き。そうした音楽を追究した人に、チェリビダッケは敬意を払っているような気がする。

(つづく)
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by kalos1974 | 2005-07-27 19:00 | すこしまじめな考察

チェリビダッケ語録

7月25日(月)

„Hugendubel“(書店)で、チェリビダッケの『語録集』を買った。(Hg. von S. Piendl u. Th. Otto; „Stenographische Umarmung - Sergiu Celibidache beim Wort genommen“, ConBrio, 2002 )。
ちょっとした一言に、音楽に対する考えかたが現れていて、とても興味深い。

私は、この指揮者の日本公演にいくことができた。最初に聴いたのは、たしか、東京文化会館。このとき、ミュンヘン・フィルというオーケストラも知った。合計で、3回か4回の実演に接することができたが、いずれも、私の音楽観を根本から揺るがすものだった。

「藝術とはなにか?」と聴かれると、多くの人は、おそらく、「美をもとめる行為」と答えるだろう。古来、藝術と美は密接に結びついている。だが、チェリビダッケにとって、藝術は単に美しさに奉仕するものではない。もし、藝術が美だけを追究するなら、「美しければなんでもよい」ということにもなりかねない。極端なことをいえば、「嘘で固めた世界であっても、美しければかまわない」という人だって出てくる。美しいけれど倫理的には最悪、ということだってありうるのだ。

「Musik ist nicht schön, Musik ist wahr. (S. 20) 音楽は美しいのではない。音楽は真理なのだ」(以下、原文に適当訳をそえる。カッコ内 S. = Seite はページ数)

チェリビダッケの音楽は真理をめざす。単に美しいだけでは不充分。美に甘んじていてはいけない。感覚的に心地よいだけなら、藝術とはいえないのだ。

「Der Klang bringt die Schönheit zur Wahrheit(S. 79) 響きは美を真理へともたらす」

真理という言葉で、チェリビダッケがなにを考えていたのか、いまひとつはっきりしないが、真理は、ふつう、「なにかほんとうのこと」を意味する。真理と嘘は相容れない。さらに、嘘が「実際にはないこと」であるのに対し、真理のほうは、「現実にあること」だろう。つまり、チェリビダッケのめざしていた藝術というのは、「『これこそ現実』といえるなにか」ということになる。

「Ich bin sehr gegen diese Idee, daß Kunst Genuß sei. Kunst ist auch Genuß, sonst würden die Menschen das gar nicht machen. Aber das Wesen der Kunst ist nicht der Genuß. Es ist das Erleben(S. 21) 私は、藝術が享楽であるという考えに断固反対する。たしかに藝術は享楽でもある。そうでなければ、人間は藝術活動などしないだろう。しかし、藝術の本質は享楽ではない。藝術の本質は体験することである」

これ以外にはありえないなにかを「体験すること」。いいかえると、真理にふれること、人生や世界、あるいは宇宙の真相を垣間見ること、これこそが、藝術なのだ。私は、チェリビダッケの演奏に接したとき、ある種、宗教的な催しに参加したような錯覚を覚えたが、あの経験は、こうした考えと無縁ではあるまい。

そんなチェリビダッケが他の音楽家を観る目はきびしい。

たとえば、カラヤンについてはこう。

「Ich weiß, er begeistert die Massen. Coca Cola auch(S. 40) かれが大衆を興奮させることは知っている。コカ・コーラのように」

そういわれてみると、カラヤンの音楽はたしかにコカ・コーラに似ている。レガートを多用し、オーケストラの心地よい響きで、多くの人に歓迎された。まるで喉ごしのよいコーラのよう。クラシック音楽をひとつの産業としたのもかれ。世界企業となったコカ・コーラと、カラヤン・ブランドは似ている。カラヤンがクラシック音楽の大衆化にはたした功績はみとめられなければならない。だが、その音楽に、はたして真理を開示する力があったかどうか・・・。「響きの流麗さ、かっこよさ以上のなにかがあるのか? 」と、チェリビダッケはいっている。

マゼールについてはこう。

「Ein zweijähriges Kind, das von Kant redet.(S.42) カントについて語る二歳児」

難しいことを器用にこなすが、まだまだ子どもだといいたいのだろうか。わかるようでわからない。でも、マゼールの本質をいいあてているような気がする。

おなじ時期にミュンヘンで人気を二分したクライバーに対しても手厳しい。

「Er ist für mich ein unmöglicher Dirigent. Kein Mensch kann bei seinem wahnsinnigen Tempo etwas erfahren. Kleiber geht vorbei am heiligen Klang. Das finde ich tragisch. Er hat niemals erfahren, was Musik sei(S. 41) クライバーは私にとってはとんでもない指揮者だ。あんな常軌を逸したテンポでなにかを経験できる人なんていない。クライバーは聖なる響きのかたわらを通りすぎている。これは悲劇だ。かれは、音楽がなんであるか、経験したことがない」

毒舌だが、これもまたクライバーの性格にせまっている。というか、私には、クライバー評よりも、チェリビダッケにとって、「響き」がいかに重要なものだったかがわかって、興味深かった。音楽をどのように響かせるかということこそが、この指揮者にとっては、いちばん大事だったのだ。

(つづく)
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by kalos1974 | 2005-07-26 02:37 | すこしまじめな考察

“TAKING SIDES“ 2

7月23日(土)

映画は、フルトヴェングラーを訴追するよう命令された少佐 Arnold を中心に展開する。この人、音楽についてはなにも知らない。頭にあるのは強制収容所の光景。とにかく、非人道的なことをしたドイツ人が許せない。ナチ政権下で積極的に抵抗運動をしなかった人間はみな犯罪者だとおもっている。フルトヴェングラーが、かつてヒトラーのまえで指揮をしたことがあると聞いて、この指揮者を徹底的に追及しようとこころに決める。

少佐のオフィスに呼びつけられたフルトヴェングラー博士 Dr. Furtwängler 。なぜ自分が「ナチ協力者」の疑いをもたれているのかわからない。危険を顧みず、ナチの藝術政策に反対したではないか。ナチの敬礼をしたこともないし、ユダヤ人を裏切ったこともない。祖国を捨てられなかったことが、それほどの「悪」だというのか。しかし、少佐は容赦しない。廊下で長時間待たされ、くたびれきった藝術家に対し、椅子さえすすめない。そして、「お前のように優遇された指揮者が、ナチの党員でなかったはずがない。さっさと党員番号をいえ」とせまる。

フルトヴェングラーは、あまりにも、藝術家でありすぎた。しかも、教養主義の伝統のなかで育った人。父のアドルフはミュンヘン大学教授で、美術史学・考古学の功労者、母方はブラームスと交際のあった一族。幼いころから、知識階級にふさわしい教育をうけてきた。藝術や学問は政治とは関係なく、それ自体で、かけがえのない世界をつくっていると考えている。頭のなかにあるのは、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、ヴァーグナー、ブルックナー、・・・。

少佐は、もちろん、フルトヴェングラーのそうした背景を知らない。ドイツにのこったのだから、ナチにちがいないと信じて疑わない。

少佐の副官、 Wills はドイツで育った人。自分がユダヤ人ということもあって、フルトヴェングラーが、多くのユダヤ人を助けたことに感謝している。しかも、幼いころ、フルトヴェングラーの演奏を聴いたことがあって、あのような藝術家がナチであるはずはないと考える(メニューインが重ねられているのかもしれない)。Wills は、少佐が藝術家に対してあまりに無礼な態度をとることに憤り、ドイツ人秘書の Emmi とともに、フルトヴェングラーに有利な情報をあつめはじめる。そして、ふたりは恋に・・・。

当時の状況をしらべればしらべるほど、フルトヴェングラーに有利な情報しか出てこない。フルトヴェングラーの音楽が、非常時の人々にとって、どれだけなぐさめになったか。それどころか、抵抗運動を支えるものであったか。しかし、少佐は、ヒトラーのまえで指揮した人間を許せない。強制収容所の光景が頭からはなれないのだ。ナチ政権下で苦労したドイツ人がいたことに思いをはせる余裕などない。「ナチの反対者なら亡命したはずだ! 」。単純な正義を押しつける仕方は、現代のアメリカを見ているようでもある。

少佐の追及は、だんだん、本筋からはずれていく。「私生児がいたから亡命しなかったんだろう? 」とか、「若い指揮者にとってかわられるのが嫌だったんだろう? 」とかいった尋問。フルトヴェングラーは激昂するが、次第に、自分が亡命しなかったことの影響を悟りはじめる。「たしかに、私は何人もの人を助けたが、自分がドイツにのこったことによって、数倍もの人を死に追いやったかもしれない・・・」。20世紀という時代、もはや、藝術は政治とは無縁でいられなくなっていた。丸山真男も指摘しているように、この点で、フルトヴェングラーは、誤りを犯したのだった。

フルトヴェングラーの悲劇は、第一に、かれがドイツ音楽の正統な後継者であったこと。この指揮者は、自分はまず作曲家であると考えていた。当時流行していた新しい音楽観から、伝統的な音楽を守ることが、その任務だった。祖国と藝術を切りはなして考えることなど不可能。たとえいま暴力が猛威をふるっているにせよ、永遠ということはない。しかし、藝術は永遠なのだ。たしかに、家族や仲間のこともあった。しかし、それとおなじくらいに、「ドイツの」音楽を守らなければならなかった。そんなフルトヴェングラーにとって、亡命は単なる逃避にすぎなかっただろう。

そして第二に、スターだったこと。ナチに協力した藝術家はたくさんいた。さきにふれたようにカラヤンはナチが政権をとるやいなや入党したし、リヒャルト・シュトラウスは党員ではなかったが、音楽院の総裁(副総裁はフルトヴェングラー)として、積極的にナチの祭典に出席しつづけた・・・。しかし、当時のカラヤンには矢面に立たされるほどの名声はなかったし、リヒャルト・シュトラウスは老人すぎた。スターはとにかく槍玉にあげられる。戦後アメリカで起こった反フルトヴェングラー運動に火をつけたのは、フルトヴェングラーがアメリカにくると自分たちの人気がなくなってしまうとおそれた同業者たちだった・・・。

この映画、藝術と政治という問題に、鋭く切り込んでいる。4人の役者の演技は巧く、緊張感もある。けれども、映画というより、お芝居を観ている感じがした。おもな舞台は少佐のオフィス。あまりあちこち移動しない。音楽家を描いているのに、挿入される音楽はすくなく、ワンパターン。《運命》ばかりだとつらい・・・。フルトヴェングラーがいかに苦労し、人々のために尽力したかといったことも、ただ語られるだけ。感動的な回想シーンをおりまぜれば、効果的だったのだが、そういうこともない。無駄なものを切り落として主題を先鋭化させたともいえるが、映画的な魅力には乏しいともいえなくもない。
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by kalos1974 | 2005-07-24 05:43 | すこしまじめな考察

“TAKING SIDES“ 1

7月18日(月)

なおさんが教えてくださった“TAKING SIDES“という映画(DVD)を観た(7月9日、映画のサイトはこちら)。20世紀最高の指揮者といわれるヴィルヘルム・フルトヴェングラー Wilhelm Furtwängler の「非ナチ化裁判」を題材にした映画。内容をわすれてしまわないうちに、感想を書いておきたい。しかし、そのまえにまず、フルトヴェングラーとナチとの関係についてふれておこう。

周知のことだとおもうが、フルトヴェングラーは、一度も、ナチ党に所属したことはない。この点でまず、カラヤンのように、積極的にナチにくわわった人物とは区別されなければならない(カラヤンは、1933年4月、当時ナチが非合法だったオーストリアで入党し、さらに5月には、ドイツ国内でもナチ入党の手続きをとっている)。しかも、フルトヴェングラーは、ナチの藝術政策に対して、終始、反対の立場をとりつづけたのだから、「非ナチ化裁判」自体、ある種の「ガス抜き」のためにおこなわれたという見方さえある。

ヒトラー政権が誕生したのは、1933年1月。同年3月、フルトヴェングラーは、ベルリンで指揮。演奏終了後、ヒトラーが指揮者のもとに歩み寄り、手をさしだす。握手を拒むのは失礼だろう。だが、このときの写真が宣伝につかわれ、その結果、後年、フルトヴェングラー=親ナチというイメージが、生まれてしまった。しかし、この時点で、ナチ政権がどんなことをはじめるか、洞察していた人が、どれほどいただろうか。

ナチの音楽政策がだれの目にも明らかになったのは、1934年。ナチは、ヒンデミットのオペラ《画家マチス》をはげしく攻撃した。これに対し、フルトヴェングラーは、このオペラを題材とした交響曲《画家マチス》を初演し、さらに、新聞紙上で、ヒンデミットを擁護する意見を公開した。当然、ナチに睨まれることになったフルトヴェングラーは、抗議の意味をこめて、すべての職を辞し(ちなみに、辞職したフルトヴェングラーの代わりとしてやってきたのは、クレメンス・クラウス)、国外に出ようとしたが、パスポートが発行されず、断念。

ナチは、フルトヴェングラーの利用価値(宣伝効果)を知っていたから、多少の譲歩をしても、この指揮者を国内にとどめておきたかったようだ。フルトヴェングラーのほうも、自分がいなくなれば、オーケストラが破綻することはわかっていたので、ドイツにとどまったらしい。それに、たとえ嫌な相手からであっても、ドイツ一の音楽家ともてはやされて、わるい気もしなかっただろう・・・。「自由な人間として藝術だけに奉仕する」というコメントを出して、音楽活動を再開。その結果、ベルリン・フィルは財政的援助をうけ、オーケストラのユダヤ人に危害がおよぶこともなくなった。しかし、これを「宥和」と見る人も、当然いる。

1936年のニューヨーク・フィルからの藝術総監督就任依頼も、フルトヴェングラーにとって、気の毒だった。この依頼をアメリカの新聞はすぐに報じた。そして、それを見たゲッペルスは、ただちに、「フルトヴェングラーが、ベルリン国立歌劇場総監督に復帰する」と発表。このとき、エジプトにいたフルトヴェングラー本人は、完全に蚊帳の外。ちなみに、1934年7月にプロイセン枢密顧問官に任命されたときも、事前に本人の承諾はまったくなかったらしい(「任命したから」でおわり)。さて、独米間のやりとりを見たフルトヴェングラーは、「面倒なことになってきた」とおもったのか、ニューヨーク・フィルに対し、「政治に巻き込まれたくない」と返事。これが、アメリカ人に、フルトヴェングラー=親ナチの印象を植えつけることになってしまった。

1938年、ナチはオーストリアを併合。ウィーン・フィルを解散させようとした。フルトヴェングラーはこれに反対。頻繁にウィーン・フィルとの演奏をつづけた。1939年になって、ヒンデミットやヴァルターなどのユダヤ人は亡命したが、「純アーリア人」のフルトヴェングラーはドイツにとどまる。そして、戦争勃発。フルトヴェングラーは、楽団員の徴兵免除のためにはたらいたり、強制収容所に送られそうになった多くのユダヤ人を助けたりした。占領地での演奏は拒否しつづけた。1945年1月、自分の逮捕状が用意されていると聞き、ついにスイスへ脱出。

以上が、フルトヴェングラーとナチとの関係のあらまし。で、映画は、この人物が、ドイツにとどまったことの意味を描こうとしていた。偉大な藝術家、しかも、宣伝効果をもった人物が、全体主義国家にのこるというのはどういうことなのか、政治と藝術は、はたして無関係でいられるのか、そうしたことが、テーマだったようにおもう。

(つづく)
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by kalos1974 | 2005-07-18 23:14 | すこしまじめな考察

たまには藝術について考えてみる 3

なにかを口にしたとき、まず感じるのは、そのものの感触ではないだろうか。硬いか柔らかいか、しっとりしているか、ぱさぱさしているか、などなど。塩からいとか甘いとかいった判定は、たぶん、そのあとでなされる。しかし、われわれは、自分が食べているものの歯触り、舌触りをよく知っているから、ふだんは、触覚を意識しない。ご飯が妙に硬かったり、肉が筋だらけだったり、とにかく、いつもとちがうときだけ、触覚が働いていることを思い出す。余談だが、総入れ歯にした人は、食べ物の味が分からくなったと嘆くそうだ。われわれは、食べ物を、舌だけではなく、口のなか全体で味わっているらしい。

音楽を聴いていて、この弦の音は「つるつるしている」とか「ごつごつしている」と感じることはよくあるし、絵画を観ていて、「すべすべしている」とか「ざらざらしている」と感じることもよくある。こうした表現は、すべて触覚にもとづいている。

触覚以外の感覚に発した言葉、たとえば、「明るい」とか「うるさい」といった表現を、触覚に適用することはない。なにかを触って、「これは明るい手触りだ」とか「静かな感触だ」とかいう人は、まずいないだろう。しかし、逆に、絵画を観て、「重い色づかいだ」ということはあるし、音楽を聴いて、「軽やかな響き」ということもある。なにもカントを迂回しなくても、日常的な表現をすこし考えただけで、触覚の根源性は理解される。

(触覚にかんしては、ヘルダー Johann Gottfried Herder (1744-1803) がなにか書いていたと思う。たしか彫塑論だった気がする。学部生のころ斜め読みしただけで、よく覚えていないのが残念)


(つづく)
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by kalos1974 | 2005-07-07 21:22 | すこしまじめな考察

たまに藝術について考えてみる 2

カント Immanuel Kant (1724-1804) は、美しいものを見極める能力について考えている。『判断力批判』(1790)から引用する(B16, Philosophische Bibliothek 507, S. 58)。

„Geschmack ist das Beurteilungsvermoegen eines Gegenstandes oder einer Vorstellungsart durch ein Wohlgefallen oder Missfallen ohne alles Interesse. Der Gegenstand eines solchen Wohlgefallens heisst schoen“(„Kritik der Urteilskraft", B16)

カントがここでいっているのは、
1.趣味は、ある対象、もしくはイメージ(表象)の仕方を判定する能力だということ。
2.判定は、心地よさ(適意 Wohlgefallen)をつうじておこなわれるということ。
3.この判定は、一切の関心(所有欲、Interesse )を欠いているということ。
3.心地よさを喚起する対象は美しいといわれるということ。
の4点。

とりあえず重要なのは、カントが、「私の趣味によって、あるものは美しいといわれたり、別のものは醜いといわれたりする」と考え、美しいものを判定する能力を、趣味と名づけたこと。

趣味と訳される „Geschmack“は、フランス語だと „gout“ 、英語だと „taste“ 。つまり、もともと、「味覚」のこと。われわれは、なにかを口にいれて、おいしいか、まずいか、判定する。そうした直接的な判定が、あるものを美しいと感じるときにも働いている。そう、カントは考えたわけだ。

では、味覚とはどんな感覚なのだろう。もちろん、ものの味を判定する感覚。だが、味を判定するためには、舌のうえになにかがのっていなければならない。味覚が働くまえに、口のなかに食べ物があることを、直接的に感知する能力が必要である。そうした能力とは、触覚にほかならないのではないか。


(つづく)
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by kalos1974 | 2005-07-04 21:23 | すこしまじめな考察

たまには藝術について考えてみる

ふじさんのブログで、音楽と文学の関係についてふれてあった。グスタフさんが、蕪村とシューベルトの親縁性について書かれた考察をひきついで、蕪村の魅力が紹介されていた。

音楽と他の藝術ジャンルの関係といえば、私の場合、絵画を思いうかべることが多い。モーツァルトの音楽を聴いて、ラファエロの聖母子像を思い出したり、シューベルトの音楽を聴いて、等伯の屏風絵を連想したりする。でも、どうして、そんなことがおこるのだろう。

もちろん、音楽も絵画も藝術なのだから、類縁性があるのは当然。主として、音楽は聴覚にうったえ、絵画は視覚にうったえるけれども、決してひとつの感覚だけに還元されるものではないし*、藝術と呼ばれる以上は、どこか似ているはず。そもそも似ていなければ、藝術としてひとくくりにはされない。では、どこが似ているのだろう。

音楽の絵画性、絵画の音楽性といったことは、当然、問われうるテーマである。シェリング Friedrich Willhelm Schelling (1775-1854) だったか、建築を「凍れる音楽」と評した人もいた。この言葉は、音楽と建築というジャンルの類縁性を下敷きにしている。また、「すべての藝術は、音楽にあこがれる」といったのは、Arthur Schopenhauer (1788-1860) だったろうか。この場合は、諸藝術のめざすべき形態として、音楽が念頭におかれている。まったく関係ないものにあこがれることはできないから、ここでもやはり、藝術のあいだの類縁性が前提されていることになる。

いま紹介したふたつの言葉、とくに前者は、根源的な藝術として、音楽を考えている。シェリングにとっては、建築が凍るまえに、音楽が存在していた。他の藝術ジャンルも、音楽から派生したものと捉えられている可能性がある。音楽はもっとも根源的なジャンルなのだろうか。そうかもしれない。たしかに、音楽こそは、形式と内容とが渾然一体となった根源性をもっている。さらに、言葉もまた、音声から成り立っている。ギリシアの詩は、朗誦されたものだった。文学は、音楽によりかかっているといえなくもない。

だが、ヘーゲル Georg Wilhelm Friedrich Hegel (1770-1831) のように、音楽を、藝術のある程度発展したかたちと見なした人もいた。それによると、音楽は、象徴的藝術、古典的藝術にひきつづくロマン的藝術に分類されている(Vgl. „Vorlesungen ueber die Aesthetik“, Suhrkamp 613, S. 111 u. S. 121)。

音楽と絵画、どちらが根源的なのだろう。いいかえると、聴覚と視覚のどちらが根源的な感覚なのだろうか。いままで挙げた例からすると、どうやら、聴覚のほうが視覚に先んじていると見なす人が多いようだ。カンディンスキー Wassily Kandinsky (1866-1944) のように、作品を制作する際に、音楽を意識していた画家や、ホイッスラー James Abbott McNeill Whistler (1834-1903) のように、自作に音楽にまつわる題名をつけた画家もいる。

でも、絵画を観ていて、音楽が流れてくるなんてことはないだろうか。たとえば、モネを観て、どこからか、やわらかなピアノの音が聞こえてくるなんてことは。もし、そういうことがあるとすれば、(すくなくとも、私には経験がある)、音楽の根源性は、見直されなければならない。

音楽を聴いて特定の絵画を想起する。あるいは、絵画を観て音楽を連想する。こうした事態が意味するのは、おそらく、音楽と絵画が、ある共通の基盤のうえにあるということだろう。音楽と絵画が、まったく別の領域にあるなら、両者のあいだに、類縁性は成立しない。だから、このふたつの藝術ジャンルは、共通の基盤のうえに存在しているはず。そして、この基盤が担っているのは、聴覚や視覚といった感覚だから、やはり、感覚でなければならない。つまり、諸藝術の類縁性を成り立たせている感覚、聴覚や視覚の土台となる感覚があるはず。さらに、この感覚、基盤なのだから、他の感覚よりも、根源的でなければならない。すなわち、私の素朴な疑問は、「藝術と呼ばれるものが依拠している根源的な感覚はなんだろう」という問いになる。

*らぷさんのコメント(7月3日)を参照。


(つづく)
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by kalos1974 | 2005-07-04 20:24 | すこしまじめな考察