カテゴリ:オペラ( 20 )

ザルツブルク音楽祭 3

8月7日(日)

20時から祝祭大劇場で《椿姫 La Traviata 》。

おもな配役は、
Violetta ・・・・・ A. Netrebko
Alfred ・・・・・ R. Villazón
Giorgio ・・・・・ Th. Hampson
で、指揮は C. Rizzi 。演奏は Wiener Philharmoniker 。演出は、 W. Decker 。

一年間バイエルン国立歌劇場にかよっておもったことがある。「主役の出来さえよければ、公演はだいたい成功する」。もちろん、あるレヴェル以上の歌劇場でなければならないが、メインの人物さえ立派な歌を聴かせてくれれば、演出が多少まずくても、端役がいまひとつでも、なんとかなるものだ。

その点、今夜は、はじめから、大成功が約束されていたようなもの。ロシア、メキシコ、アメリカから有名歌手をまねき、管弦楽はウィーン・フィル。

私は、はじめてこのオペラの実演に接したが、パワフルですばらしい公演だった。三人の有名歌手を一度に聴けたのも、一生の思い出。ただ、あえて、問題点を挙げれば、演出だろうか。舞台上には白い壁と、それに沿って配されたベンチ。ほかにはソファーとおおきな時計があるだけ。時計は、登場人物たちにのこされた「時間」を象徴しているのだろう。私など、これだけで充分な気がするが、壁のうえを、なにやらいわくのありそうな紳士がいったりきたり。途中で、この人物が医師だとわかった・・・。簡素な演出はまあいいにしても、問題は、歌手が舞台上を走りまわること。落ち着きがない。上品さや優雅さ、繊細さとは縁遠い感じ。ネトレプコとヴィヤソンだからできた演出だろう。

歌手では、とくにヴィヤソンの出来がよかった。先日、バイエルン国立歌劇場でファウストを熱演したばかりだが、このあいだより、ほんのすこし、声に艶があった。とても甘い声。第一幕はとくに、ネトレプコより声が輝いていたように感じた。

ハンプソンも着実な歌唱。この人、堂々としているし、父親役にふさわしい外見なのだが、もうすこしだけ重みのある歌だと、舞台がさらに引き締まっただろう。《椿姫》というオペラにとって、父親役は案外重要だとおもった。

注目のネトレプコ。よいソプラノであることにまちがいはない。声にふくらみと張りがあってよく伸びる。なにより、とても力強い。声だけ聴くとそうでもないが、見た感じは、演出のせいか、野生的といってもよいくらい。若々しいヴィオレッタにこれ以上ふさわしい人はいないかもしれない。ただ、篠の風さんも書いておられたけど、もてはやされすぎの感も否めない。たしかに、すばらしい歌手。しかし、弱音の響きや透明な歌唱、陰翳感、劇的な表現といった点には、まだ改善の余地がある。天狗になったり、下手に消耗したりしなければよいが・・・、と心配したりする(自分の藝術にきびしい人のようなので、よけいなお節介かな)。とはいえ、あの世代で、あれだけのパワーをもつ歌手はなかなかいない。騒がれるだけのなにかをもっているのはたしか。存在感もある。順調に育っていってくれることをこころから祈りたい。

演奏がおわると、いきなり、前のほうの人が立ちあがったものだから、連鎖的にみんな立つことに。いくらすばらしい公演だったといっても、ブラボーのかけ声よりもはやい Standing Ovation はどうかとおもった。
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by kalos1974 | 2005-08-10 05:05 | オペラ

ザルツブルク音楽祭

8月2日(火)

7月のはじめごろだったろうか、妻が「もう《魔笛》はないの?」と訊いてきた。うちの奥さん、クラシック音楽にほとんど興味がないくせに、なぜか《魔笛》だけは大好き。帰国まえにもういちど聴いておきたいという。そこで、さっそく、バイエルン国立歌劇場のホームページをチェックするも、人気公演はすべて「完売」。そりゃそうだ。

簡単にあきらめるのもかわいそうだとおもって、いろいろしらべてみると、ザルツブルク音楽祭で《魔笛》を上演するらしい。しかし、もちろん、完売。どうしようもない。が、駄目もとで、いつもお世話になっているホテル・ゴルデナー・ヒルシュ Hotel Goldener Hirsch の P 氏にメールを書いた。すると、3日ほどして、8月2日の切符がとれましたという知らせが。やっぱり、このコンシエルジュさん、魔法つかいだ。
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さて、当夜のおもな配役は、
Sarastro ・・・・・ R. Pape
Tamino ・・・・・ M. Schade
Sprecher ・・・・・ F. Grundheber
Die Königin der Nacht ・・・・・ A.-K. Kaappola
Pamina ・・・・・ B. Bonny
Papageno ・・・・・ M. Werba
Papagena ・・・・・ M. Janková
Manostatos ・・・・・ B. Ulrich
で、オーケストラは Wiener Philharmoniker 。指揮は R. Muti、演出は Graham Vick 。

序曲から、ウィーン・フィルの響きに魅了された。なんとつややかで、ふくらみのある音色だろう。絹のような光沢。繊細で、瑞々しく、上品きわまりない。シャンパンのような色かとおもうと、ウィスキーの樽のような色になったりする。やはり、このオーケストラ、ちょっと比類がない。

歌手陣も、世界的な「お祭り」だけあって、粒がそろっている。なかでも、ミヒャエル・シャーデは、張りのある若々しい声で、タミーノにぴったり。見た目が「体育会系」なところ以外、まったく不満なし。ザラストロも、クルト・モルに負けない深みのある声だったし、夜の女王もすばらしかった。実は Kaappola という人の夜の女王は、今年4月に、ドレスデンで聴いているのだけれども、あのときはいまひとつだった。ゆらゆら揺れる台にのって、中空で歌っていたから、きっと、実力が発揮できなかったのだろう。今回は、ゆったりとしたテンポで高音を響かせ、夜の女王の貫禄を見事に表現していた。バーバラ・ボニーは急遽代役で出演したためか、いまひとつ、声にふくらみがなかった気がする。よく響いてはいたけど。

残念だったのは、演出。舞台が暗いせいか、登場人物の性格がはっきり伝わってこない。そもそも、オペラ全体をタミーノ(サッカー選手? )の夢物語にしてしまうのはいかがなものか。妖艶な夜の女王と、肉体労働者のボスのようなザラストロも、いまいち・・・。パパゲーノも妙に根暗におもえた(タミーノの声が際立っていたせいかもしれない)。パパゲーノといえば、パパゲーナの歳をまちがえる台詞(パパゲーナは18歳 achtzehn というのだが、80歳 achtzig とまちがえる)がカットされていた。それに、客席に向かって「ひとつ、ふたつ、・・・」と数える場面なんかも、あっさりしていて、なんの躊躇もなく、 "eins, zwei, drei" といってしまう。とても、自殺を止めてくれる者をもとめているようには見えない。タミーノとパミーナの試練がロシアン・ルーレットだったのも、いただけなかった。演出にかんしては、バイエルンの陽気で壮麗、光と闇をきちんと描きわけた舞台に慣れた目からすると、思弁的にすぎた・・・。
なんか、文句ばっかりですね。しかも、こういうことをいうと、精神年齢がばれてしまうけど、私なんぞは、いつも、最初の場面でどんな怪物が出てくるか楽しみにしているので、紐みたいな蛇を見た瞬間に失望したんだよね(笑。
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とはいえ、非常にレヴェルのたかい公演で、この一年間、バイエルン国立歌劇場に通っていなかったら、文句なしに、感動しただろう。歌手はそろっているし、指揮者も有名人。しかし、どこかこなれていない気がした。合唱も、微妙に濁っていて、しかもパワーがなかった。贔屓目かもしれないが、総合的に考えると、「おとぎ話」を素直に再現しているミュンヘンの《魔笛》のほうが、やはり、天真爛漫で楽しめたようにおもえる。

それにしても、さすが、ザルツブルク音楽祭。有名人がたくさんきていたみたい。私たちのまえには、ケント・ナガノ夫妻が座っていたし・・・。
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by kalos1974 | 2005-08-04 08:15 | オペラ

今シーズン最後の公演

7月31日(日)

16時から、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》。

前奏曲がはじまったとたん、わくわくした。血が騒ぐというのだろうか。バイエルンのふかい森や、すみきった湖、それにアルプスが、目のまえに現れる。まだはじまったばかりなのに、ドイツの藝術を讃えたくなった。ヴァーグナーってやはり危険かもしれない。

おもな配役は、
Hans Sachs ・・・・・ J.-H. Rootering
Sixtus Beckmesser ・・・・・ E. W. Schulte
Walter von Stolzing ・・・・・ S. Anderson
David ・・・・・ K. Conners
Eva ・・・・・ A. Pieczonka
Magdalene ・・・・・ H. Grötzinger
Veit Pogner ・・・・・ H.-P. König
で、指揮は、 P. Schneider 、演出は、 Th. Langhoff 。

演奏は、めずらしく、オーケストラが上滑りしているところもあったけど、大きな不満は感じなかった。それどころか、最後の場面など、尋常ではない盛りあがり。バイエルン国立歌劇場の実力を見せつけられた。そもそも、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は、1868年6月21日に、この劇場で初演されている。つまり、この作品の上演にかんしては、スタンダードをつくってきたという自負があるはずで、よほどのことがないかぎり、不出来になるはずがない。だからこそ、毎年、オペラ祭の最後は、この作品でしめくくられるのだろう。
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ただ、あえて難をいえば、ハンス・ザックスに存在感がたりなかった。声にいまひとつパワーがなかったし、エファとのやりとりでも、もうすこし、苦悩を表に出してもよかったのではないか。他にも、一流ではあるけれど、ほんのすこし、なにかがものたりない人がいた。

今回の滞在、ミュンヘンでオペラを聴くのは、これが最後。昨年10月19日の《マダム・バタフライ》に出かけて以来、30回ほどの公演を聴いた。ウィーン、ミラノとならぶヨーロッパ三大歌劇場のひとつに、これだけ通えたというのは、ほんとうに幸せだとおもう。こんなことは、もう、なかなかないだろうなあ・・・。と、感慨にふけりながら、来年のプログラムをチェックしていたりする(笑。
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公演終了後、知人と、バイエリッシャー・ホーフ Hotel Bayerischer Hof の地下へ。白ビール、リースリング、ニュルンベルガー、ヴィーナー・シュニッツェル。今日の公演の感想や、ザルツブルク音楽祭の話で盛りあがり、帰宅したら午前1時をまわっていた。
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by kalos1974 | 2005-08-01 09:48 | オペラ

《ルル》

7月29日(金)

18時30分から、《ルル》。

後学のために出かけていったが、やはり、よくわからなかった。私の耳は、R. シュトラウスあたりまではなんとか受け入れてくれるのだけれど、無調音楽とか十二音技法とかになるともうだめ。お手あげ。

アルバン・ベルクは、いまや立派な古典だとおもうが、ヨーロッパにも私のような人が多いのだろうか。客席は8割ほどの入り。しかも、休憩ごとに聴衆が減っていき、第三幕のはじまるまえには、空席がとても目立つ状況となってしまった。

おもな配役は、
Lulu ・・・・・ M. De Arellano
Der Maler / 2. Freier ・・・・・ W. Hartmann
Der Medizinalrat / 1. Freier A. Kuhn
Gräfin Geschwitz ・・・・・ K. Karnéus
Dr. Schön / Jack the Ripper ・・・・・ T. Fox
Alwa ・・・・・ J. Daszak
Schigolch ・・・・・ F. Mazura
Der Prinz / Der Kammerdiener / Der Marquis ・・・・・ K. Roberson
で、指揮は、 M. Boder 、演出は、 D. Alden 。

最後まで馴染めなかったが、それでも、部分的には、引き込まれる箇所がなかったわけでもない。訓練すれば、よさがわかるようになるのかな(苦笑。
歌手は、男声陣を中心に充実していた。でも、先日の《ファウスト》や《ロメオとジュリエット》ほどではなかったような気がする。ただ、こうおもうのも、音楽についていけなかったからかもしれない。
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第一幕終了後、ものすごい雨。しばらく降り続きそうな気配だったが、第二幕後の休憩のときにはあがっていたので、ホーフブロイハウスの近くにあるお店まで、アイスを買いにいくことができた。雨のお蔭で、日中35度あった気温が、帰宅時には20度を下回っていた。天気予報を見ると、明日からまたすごしやすくなるようだ。
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by kalos1974 | 2005-07-30 08:18 | オペラ

《ファウスト》

7月27日(水)

19時から、グノーの《ファウスト》。

おもな配役は、
Faust ・・・・・ R. Villazón
Mephistooheres ・・・・・ P. Burschladze
Margarete ・・・・・ A. Arteta
Valentin ・・・・・ M. Gantner
Siébel ・・・・・ D. Sindram
で、指揮は、 Fr. Haider 、演出は、 D. Pountney 。

今日は、とても歌手にめぐまれた公演だった。うえに挙げた5人、みな、申し分なし。風格のある悪魔、一徹な軍人、人のよい若者。それぞれが、役柄にあった歌唱を披露していた。とりわけ、 Arteta は、愛らしく、清らか。もうすこしだけ声に透明さがあれば、なにもいうことはない。でも、繊細な弱音がよく聴こえてくるし、大きな声も絶叫にならない。「トゥーレの王」について歌うあたりから、輝きもましてきた。Villazón は、前半、声が伸びてこない箇所もあったけれど、第三幕からは、艶のある声で、若々しいファウスト。いちばんたくさん拍手をもらっていた。このふたりの二重唱、ほんとうに、とろけるように素晴らしかった。

ゲーテの『ファウスト』は、だれもが名作という世界文学の金字塔。しかし、白状すると、このお話のよさが、いまひとつわからない。もちろん言葉の問題もあるけど、飽くなき前進とか自我の追究とかいったテーマについていけない。今日も、ファウストが「彼女の子どもをなくしたかわいそうなマルガレーテ」というのにすこし腹が立った。「私たちの子ども」というべきではないのかと・・・。

休憩のあと、第三幕のはじまるまえに、指揮者に対して、「ブー! 」が飛んだ。それに対して「ブラボー! 」のかけ声も。両者入り乱れたせいで、はじまりかけた演奏が中断。こういうシーンにはじめて接した。
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ひとつわからなかったのは、演出。なぜ、音楽を中断してまで、人形劇を挿入する必要があったのだろう。線路をつかったセットも秀逸とはいえないにしても、人形劇のようにオペラの邪魔をするものではなかった。カーテンコールでも、人形つかいたちに、さかんな「ブー」が飛んでいた。気の毒ではあるけど、やはり、蛇足だったのではないか。
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by kalos1974 | 2005-07-28 08:41 | オペラ

“Je ne peux pas vivre sans toi.“

7月21日(木)

今日は一日よい天気だった。昼間の気温は23度くらい。湿度も低いから、とてもすごしやすい。日本の夏もこうだと、どんなによいだろう。夜は寒くなるとおもったので、ネクタイをしめてオペラへ。話はずれるが、ネクタイって、こういう気候のところでしめるものであって、高温多湿の日本の夏にしめるものじゃない。ただでさえ暑いのに、ネクタイをしめて、上着まで着るものだから、冷房なしではいられない。馬鹿げた話だ。

で、19時から、グノーの《ロメオとジュリエット》。
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おもな配役は、
Juliette ・・・・・ A.-M. Blasi
Roméo ・・・・・ M. Alvarez
Stéphano ・・・・・ A. Bonitatibus
Gertrude ・・・・・ H. Grötzinger
Laurent ・・・・・ M. Muraro
で、指揮は、 F. Chaslin 、演出は、 A. Homoki 。

いつも同じことばかりで藝がないけど、今日も、すばらしい公演だった。微妙なニュアンスを軽々と表現してしまうオーケストラ、透き通った迫力をもつ合唱団。バイエルン国立歌劇場はこのふたつを兼ね備えているから、よほどのことがないかぎり、ケチをつけられない(あえてつける気もないが)。

いちばん見事だったのは、ロメオ役のアルバレス。とにかく声がよい。甘くて、つややかで、ロメオにぴったり。輝きながら、客席(2. Rang rechts, Reihe 1, Platz 20)までとどいてくる。酔いしれてしまった。今日は、あの歌唱を聴けただけで満足。なのに、そのうえ、ジュリエットの声もロメオに負けない存在感があったし、ステファノのチャーミングな歌も記憶にのこっている。
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このオペラ、誰でも知っているお話。でも、やはり、最後は「ぐっ」ときますね。うしろのおばさん泣いてたし、私も涙ぐんでしまいました。

公演の最初と最後に“Je ne peux pas vivre sans toi 君なしでは生きられない“という文ではじまる手紙が大写しになったのだけども、最初は「けっ!」と鼻で笑ったのに、最後にこれが現われたときには、「うんうん、わかるわかる」とうなずいてしまいました(笑。
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by kalos1974 | 2005-07-22 08:43 | オペラ

よくわからない

7月20日(水)

19時から、《ビリー・バッド》。

主な配役は、
Vere ・・・ J. Daszak
Billy Budd ・・・ N. Gunn
Claggart ・・・ Ph. Ens
Dansker ・・・ D. L. Williams
Squeak ・・・ A. Mee
で、指揮は K. Nagano 、演出は、 P. Mussbach 。

はじめて観るオペラだし、ブリテンの音楽もほとんど聴いたことがないので、「音楽史跡とオペラの旅」というホームページ(リンクフリーとあった)を参考にして、筋を追いなおしたりしてみた。

でも、やっぱりよくわからない。なぜ、バッドという天真爛漫な男は、死ななければならなかったのか?

Budd という名前から、仏教に関係した話かともおもったが、そうではなさそう。どちらかというと、キリスト教の匂いがする。ヴィアがバッドを見殺しにするところなど、ピラトを連想させるではないか。しかも、バッドは、外から、「人間の権利」という新しい思想をもちこんだ。これは新約に通じる。そうすると、バッドを憎むクラッガートは、旧約の世界を代表する人物か? さらに、バッドは、自分を助けてくれなかったヴィアを救済して昇天する・・・。ぜひ、メルヴィルの原作を読みたいところ。
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演奏は、いつもどおりのすばらしいもの。とくに、オーケストラの奏でる弱音の繊細さと、合唱の迫力には驚嘆。歌手のなかでは、ヴィアとクラッガートの声がよくのびてきたようにおもう。クラッガートは、まさに悪役といった声で、憎らしかったのだが、頭をしたにして階段から落ちたのにはおどろいた。安全装置のようなものはあるだろうけど、すこし心配。

演出も、舞台を目一杯つかって、閉じられた世界をうまく表現していたとおもう。
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by kalos1974 | 2005-07-21 09:09 | オペラ

はじめてチャイコフスキーのオペラを聴いた

7月12日(火)

19時から、《スペードの女王 Pique Dame 》。

主な配役は、
Hermann ・・・・・ V. Kuzmenko
Graf Tomskij ・・・・・ S. Leiferkus
Fuerst Jelezkij ・・・・・ M. Gantner
Lisa ・・・・・ A. Pieczonka
Polina ・・・・・ A. Kiknadze
Graefin ・・・・・ J. Barstow
指揮: J. Maerkl
演出: D. Alden

私にとっては、第二幕の劇中劇が秀逸。ふざけた仮面舞踏会なのだが、抒情的な旋律が、どこか、はかなさを表現しているかのよう。これから破滅をむかえるであろう主人公たちをつつむ典雅なひととき。優美な音楽が、登場人物の立場や思惑を際立たせる。エレツキー(と読むのかな?)の歌う上品なアリアに、リサは応えず、二重唱にならない。ふたりの隔たり(字幕でも、エレツキーは、リサを、終始敬称“Sie“で呼んでいた)を物語っていたのだろうか?

第三幕、一気に破滅へとすすむ暗い音楽が、すこしだけ、《ドン・ジョヴァンニ》を連想させた。そういえば、第二幕だったか、台詞に「モーツァルト」という言葉があったなあ。

オーケストラが超絶的な技巧を聴かせ、えもいわれぬ、切ない音色を奏でる。オペラの公演で、オーケストラの響きに酔わせられるのは、ほかには、ウィーンとドレスデンくらいだろうか。ミュンヘンにいる幸せに感謝する瞬間。歌手も、暗くよどんだ声から、甘く輝きのある声まで、エネルギッシュに響かせた Kuzmenko 、「安定した生活ではなく、常軌を逸した思いに惹かれてしまう女性って、たしかにこういう声だろうなあ」とおもわせてくれたPieczonka 、ともにすばらしい出来。合唱も、いつもながら、透明な、それでいて、迫力のある歌を聴かせてくれた。

演出も、舞台を仕切っている半円形の壁が場面に応じて移動するので、転換がすばやく、観る者を退屈させない。影が歌い、苦悩しているように見せる照明も印象的。
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とてもレヴェルのたかい公演だったのに、空席の目立ったのが残念。といっても、舞台の見にくい、端っこやうしろの席だけなのだが、ドイツやイタリアのオペラのときは、ものすごい数の立見が出るので、それとくらべると、やはり、さみしい、というか、勿体ない。
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by kalos1974 | 2005-07-13 08:17 | オペラ

ルイージって・・・

7月7日(木)

18時30分から、《運命の力》。

主な配役は、
Calatrava ・・・・・ S. Humes
Leonora ・・・・・ V. Urmana
Carlo ・・・・・ M. Delavan
Alvaro ・・・・・ F. Farina
Preziosilla ・・・・・ D. Peckova
Guardiano ・・・・・ K. Moll
で、指揮は F. Luisi 。

昨日とオーケストラの響きがちがう。明らかに熱量がたかい。しかも、単にエネルギッシュなのではなく、とてもはかなく、哀切きわまりない音も奏でる。とても深い「木の響き」だ。ルイージという人、以前このオケをふったときに、とても見事な演奏を聴かせてくれた(5月24日。そのときの感想をトラックバックしておきます)ので、それ以来気になっている。私が知らなかっただけで、実は、すごい指揮者なのかもしれない。音楽にくわしい友人が、「メータの後任は、ムーティーか、ルイージだったらよかったのに」といったときには、「おいおい」と思ったが、いまなら、素直に肯ける。ドレスデンの聴衆は幸せだなあ。

歌手では、レオノーラが出色。優柔不断なお嬢さまの甘え、すべてを捨てなければならなくなった悲痛な叫び、安息をもとめる祈り。この人物のさまざまな面を、しっかり歌い分けていた。第四幕では、自分の運命を悟り、それを静かに受け入れようとする、どこな高貴な風情まで、聴かせてくれた。 Urmana は、ひとりの女性が成長していくさまを、歌いきったと思う。アルヴァーロ役の Farina も、Urmana に負けない立派な歌唱だった。このふたりの二重唱を聴いて、いまさらながら、「イタリア・オペラもいいものだなあ」と思ったりする(笑。もうひとりの重要人物、カルロは、誘惑にまけて友人の秘密をのぞいたりするくせに、名誉(家名)のことで頭が一杯という、すこし複雑な人物。この役を歌うのは大変だろう。しかも、アルヴァーロと「声の決闘」をしなければならない。 Delavan は健闘していたが、レオノーラやアルヴァーロとくらべると、やや歌が粗いし、声が客席までしっかりとどいてこなかった。本調子ではないクルト・モルの声が、ちょっとしたつぶやきでも、しっかり聴こえたのとは対照的だった。
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演出も、昨日とは打って変わって、まともなもの。場面転換も第三幕と第四幕のあいだが途切れた以外、スムーズだった。ところで、第三幕の野営地の場面。セット(とくに貨車)が、強制収容所を連想させて、背筋が冷たくなった。でも、ほかの聴衆はとくに目立った反応をしていなかったので、気のせいかもしれない。
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by kalos1974 | 2005-07-07 20:49 | オペラ

猿の惑星

7月6日(水)

今日は、19時から、《リゴレット》。

幕が開くと、うしろの人が "schrecklich (ひどい)"、となりの人が、"unglaublich (信じられない)"と叫んだ。つぶやいたのではない。叫んだ。

聞いてはいたが、ほんとうに、「猿の惑星」そのままの舞台じゃないか。剽窃もいいところ。しかも、こういう演出にした必然性が分からない。もちろん、いくらでもこじつけられるけど、台本や音楽を虚心に解釈した結果とは思えない。許可した人のセンスまでうたがう・・・。

第一幕がおわったとき、となりの人が、「こりゃだめだ」という顔をして、こっちを見るから、「でも、歌手はいいですね」と、いらんことをいったら、休憩の間中つきまとわれた・・・。よほど、だれかに文句をいいたかったらしい。私も、「この演出は、作品に何の貢献もしていない」と思ったので、とりあえず、"Diese Inszenierung leistet keinen Beitrag zu Verdis Werk"といったら、通じたらしくて、おじさん、だんだんエスカレート。「最近の演出は、オペラを分かっていない。ミュンヘンはもうおわりだ」なんて極論まで飛び出したけど、分からなくもない。そういえば、《後宮からの逃走》も、ひどい演出だった・・・。今日、休憩のときに、かえる人がいなかったのは、ひとえに、演奏がすばらしかったから。

主な配役は、
Mantova ・・・・・ J. Calleja
Rigoletto ・・・・・ P. Gavanelli
Gilda ・・・・・ D. Damrau
Sparafucile ・・・・・ A. Kotscherga
Maddalena ・・・・・ E. Maximova
Giovanna ・・・・・ H. E. Minutillo
で、指揮は、 Z. Mehta 。

歌手では、ジルダとリゴレットがすばらしかった。 Damrau は、どこにも力の入っていない自然な歌いかたなのに、よく通る声。見た目もわるくないし、ジルダにぴったり。 Gavanelli も、リゴレットの、いやらしい面から父親のやさしさまで、堂々と歌いあげていた。大したもの。第三幕の最後の場面では、思わず、涙が出そうになった。それにしても、このふたりの二重唱の見事なことといったら・・・。
マントヴァもわるくなかったけど、すこし波があったかもしれない。公爵の「天然さ」もいまひとつ出ていなかった気がする。でも、第三幕の四重唱は、文句なしに、よい出来だった。
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これだけすばらしい演奏になったのは、なぜだろう? ひょっとしたら、演出があまりにひどいので、歌手たちが奮起したのかもしれない。だとしたら、今日の演出、「ヴェルディの作品に多大な貢献をした」ことになる。
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by kalos1974 | 2005-07-06 20:56 | オペラ