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ニュルンベルク 2 (2005年4月30日~5月1日)

4月30日(土)

この日は、到着後すぐ、ゲルマン国立博物館 Germanisches Nationalmuseum へ。
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デューラー、リーメンシュナイダー、ファイト・シュトースなど、巨匠たちの作品が、あちこちに・・・。有名な美術作品だけではなく、楽器や工芸品から武器(中世のニュルンベルクは、ミラノとならんで、武器の産地だったとか)にいたるまで、さまざまなものが陳列してあった。途中でコーヒーを飲んだりして、4時間くらいいたが、とてもまわりきれるものではない。収蔵品カタログを買うときに、「広すぎてつかれたんだけど」とブツブツいったら、「1度に全部観ることはできないよ」だって。納得。

面白かったのは、世界最古の地球儀かな。アメリカ大陸発見のまえにつくられた(たしか、1491年)ので、アメリカがない。大西洋をへだてて、ヨーロッパの西に、ジパングがあったりする。
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by kalos1974 | 2005-04-30 04:24 | 旅行

ニュルンベルク 1 (2005年4月30日~5月1日)

4月30日(土)

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ニュルンベルクは、ミュンヘンからICE(Inter City Express)で2時間弱。金印勅書で、「新しい皇帝がえらばれたときに、最初の議会を開く」ように定められた町。絵の好きな人にはデューラーの町、音楽の好きな人にはハンス・ザックスの町といったほうがいいかもしれない。

感想は、暑かった!

最高気温は28度。一昨日まで涼しかったので、ふつうに上着を着ていったら、大汗をかいた。
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もう1つの感想は、アスパラガスがおいしかった!

アラベラ・シェラトン・ホテル・カールトンというところに泊まったのだが、この日は、歩きつかれて、食事にでかける元気がなく、ホテルのレストランで食事。

白アスパラを薦められたので、「最近、食べ飽きてるんだよな」と思いながらも、「せっかくだから」と注文した2品。アスパラのクリームスープと、ゆでたアスパラの美味しかったこと・・・。

スープは、隠し味のニンニクが食欲をそそる味。溶けかけたホイップ・クリームが、なんともまろやかに、全体をまとめて、それはそれは、豊かな味。なかには、ぷりぷりした小海老。「どうして海から遠くはなれたところにこんな小海老が?」と思うほど新鮮で、味が濃い。スープの濃厚さと見事に調和していた。

ゆでたアスパラは、やわらかくて、口のなかにまったく繊維が残らない。それなのに、なんともいえない香りと、ほのかな甘さがひろがって・・・。まさに絶品。自分でゆでたり、ミュンヘンの某レストランで食べたものとは、まったく別物。添えられた新ジャガも味が濃いし、オランデーズ・ソースも秀逸。鮭の蒸したものがついてきたのだが、これまた、余計な脂がぬけているのに、でも、鮭の旨味はしっかり残っている。なんというか、「おお、生きててよかった!自然よ、ありがとう!」という1皿。

食欲がなかったはずなのに、もちろん、「ぺろりごくん」。お蔭で、1日のつかれがどこかへいってくれた。
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by kalos1974 | 2005-04-30 04:12 | 旅行

だれだ?

4月29日(金)

演習のあと、ミヒャエル教会 St.-Michaels-Kirche で、テレマンの《メサイア》を聴いた。演奏は、ミュンヘン放送交響楽団 Muenchner Rundfunkorchester とバイエルン放送合唱団 Chor des Bayerischen Rundfunks。月並みだが、残響が心地よくて、「こういう音楽は、やはり、教会堂で聴くのが本統だな」というのが感想。
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後半は、ズーターマイスター Heinrich Sutermeister (1910-1995)の《カンタータ第3番》。はじめて聞いた名前。いかにも現代音楽という響きだったが、どこかブルックナーを想起させる内容。ものすごい音量に、床が振動していた。ソリストでは、ドーソン Lynne Dawson というソプラノがうまく声を響かせていて、曲にぴったりだった。

なぜ、1759年につくられた作品と、1958年につくられた作品が、一緒に演奏されたのか不思議におもって、帰りの地下鉄のなかで、プログラムを読んでいたら、2つとも、クロップシュトック Klopstock のテクストに曲をつけたものだった。
でも、クロップシュトックで誰だ?プログラムによると、ゲーテの『ウェルテル』にも登場する詩人らしい。そういえば、どこかで聞いた名前のような・・・。う~ん、でも、覚えてないなあ。
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by kalos1974 | 2005-04-29 00:22 | 演奏会

顔から火

4月25日(月)

昨夕、とあるパーティーで、30歳代のドイツ人と知り合った。こちらが日本人とわかると、いきなり「日本では、ドイツにかんして、どんな教育がおこなわれているのか?」と尋ねられた。なんでも、パーティーにくる途中で、日本人の若者に、「ハイル・ヒトラー!」と呼びかけられたらしい・・・。おもわず絶句。
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さっき、あるブログを見ていたら、たぶん20歳代の人が、「われわれの世代は、戦争責任とは関係ない」と書いていた。同じ年代のドイツ人は、おそらく、こういうだろう。「われわれは、経済的繁栄といった正の遺産の恩恵に与っている以上、負の遺産に対しても責任を負っている」。

ヨーロッパで、日本の動向は、案外しっかりフォローされている(今日の12時のニュースで、尼崎の鉄道事故は2番目にとりあげられた)。
中国での反日運動もきちんと報道されましたよ。教科書問題、慰安婦のこと、靖国神社参拝・・・、みんな知られている。だから、当然、日本に味方する論調はすくなかった。もちろん中国のやり方は批判されていたけど、ドイツの新聞は「日本は自分を戦争の被害者としてしか見ていない」と書いたし、イギリスの新聞はもっと辛辣な書き方をした。

前回の日記でもふれたけど、日本の政治家は内向きすぎる。なぜ、自分の国が、外からどう見られているのか、考えないのだろう・・・。自国民に対してもきちんと説明しないくらいだから、仕方ないのかなあ。
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by kalos1974 | 2005-04-25 19:14 | 日記

誕生日会

4月23日(土)

19時~23時
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by kalos1974 | 2005-04-23 22:59 | 日記

友だちづくり

4月22日(金)
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ミュンヘン大学当局のご厚意で、DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生の集いに招待していただいた。たぶん、「うちでは、こんなふうに国際交流をすすめています」とアピールしたいのだとおもう。 実際、講演の内容は、みな、相互理解の重要性を説くものだったし。

ドイツの国是は、「二度と戦争をしないこと」である。これは、日本とおなじだが、ちがうのは、実際にさまざまな事業をおこない、それを常に宣伝している点だろう。

世界中にゲーテ・インスティトゥート Goethe-Institut を設置している(日本だと、東京、京都、大阪にあります)のは、実は、平和に貢献するためである。ふつうの市民に、ドイツ文化にふれてもらい、ドイツ語を学んでもらう。そうすることによって、お互いの誤解をとき、相互理解をすすめようというのだ。

DAADもそうした事業のひとつで、簡単にいえば、若手研究者にドイツを識ってもらうことが目的。奨学生はかなり恵まれた条件で、勉学や交流に専念できる。

中堅研究者むけには、フンボルト奨学金というのもある。こちらは、大学の研究者を対象としていて、かなり厚遇されるらしい。ドイツ贔屓の教官がふえれば、感化される学生だって出てくるかもしれない。うまく考えられているとおもう。

多国間の文化交流だけ見ても、いろいろな試みがなされているし、そのうえ、フランスやポーランドといった隣国との間では、実にさまざまなレヴェルの交流がおこなわれている。50年にわたる地道な努力が、EUの中核という、今日の地位に結びついているのだろう。
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by kalos1974 | 2005-04-22 19:04 | 日記

なんでもできるのね

はじめてバイエルン放送交響楽団 Das Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks を聴いたのは、たしか、東京文化会館。曲目は覚えていないけど、指揮はコリン・デヴィス。それ以来、ずっと、この楽団のファンです。

ミュンヘンの抜けるような空をおもわせる爽やかな音色。上品で軽やかな演奏。ミュンヘン・フィルのエネルギッシュな響きに対して、ロココ調の典雅な響き。この楽団で聴くモーツァルトなんて、ほんと、極上の白ワインみたいですよ。

今日(4月21日、会場はヘラクレスザール)の曲目は、《未完成》と《英雄》。指揮はヤンソンス。はっきりいって、期待してませんでした。
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それなのに、やっちゃうんだなあ。このオケは。

シューベルトでは、哀愁や寂寥感、はっきりいうと、死の不安のようなものが、的確に表現されていた。おそろしく深い響き。深遠をのぞき見たようで、身震いした。そして、さみしさのなかで、憧れを歌う木管。安らぎにみちた世界が顕現する。

ベートーヴェンでは、いかにもドイツの楽団らしい重厚な響きが前面に。低弦がよく鳴り、ティンパニが荒れ狂う。いつもの優雅な姿はどこへやら。力のみなぎった音楽が組み立てられていく。かとおもうと、第2楽章では、デリケートな演奏で、哀切と祈りの意味が示される。

各パートが自信にあふれていた。ホルンもまったく危なげない。フルートは、くすんだ渋い音から、若葉のうえの朝露のような音まで、自由自在。いや、まいりました。みんな巧すぎるよ。

ヤンソンスも小細工をしないで、正々堂々と大作曲家に立ち向かっていた。見直しました。
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by kalos1974 | 2005-04-21 00:25 | 演奏会

ヴァチカンパン

4月20日(水)、23時20分。

なんとなくTVを見ていたが、やはり、ベネディクト16世 Benedikt XVI . の話題がおおい。

いまも、ZDF に、新教皇のお兄さん(Georg Ratzinger氏)が引っ張り出されていて、「これから弟さんのことをなんと呼びますか?」などと、どうでもいい質問をされている。

シュレーダー首相は「連邦政府の名において祝福する」とか、「全国民にとって偉大な栄誉」とコメントし、バイエルン州のシュトイバー首相も「バイエルンとドイツ全体にとって二度とないような歴史的な日だ」と述べていた。

新教皇の出身地マルクトル Marktl は、お祭り騒ぎ。町長さんは「観光客がふえるだろうから、町にとって有り難い」なんて、本音をちらつけせている。町のパン屋さんは、さっそく、ヴァチカンパン Vatikanbrot なんてものを売り出したみたい。おいおい。

一方、わがミュンヘン大学は、新教皇の母校なのだが、いつもと変わりなし。ホールもいつもと同じ(写真)。昨日たまたま、新教皇が選出されたときに大学にいたけど、「保守派がえらばれてガッカリ」といってる学生が目立ったなあ。
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新教皇は藝術愛好家らしい。ピアノを弾いている姿がとても真摯に見えた。そんな理由で恐縮なのだが、なんとなく応援している。
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by kalos1974 | 2005-04-20 23:20 | 日記

予習したけど・・・

4月19日(火)、17時30分。

朝から演習 Hauptseminar 、つかれたので、いったん帰宅中。これから論文の手直しをして、19時30分から、飲み会に参加する予定。

今朝の演習。授業がはじまるなり、 O 先生が、「では、この論文の要点は? 一語でいうと、なにが問題?」と訊きはじめる。
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前学期の演習でもまず声をかけられたし、今日も「たぶんあてられるんじゃないかなあ」とおもっていたら、案の定、指名された。私だって、自分のゼミに外国人がいたら、とりあえず、その人にふってみて、どういう学生なのか様子を見たいだろうし。

と、ここまでは予想していたので、昨夜、半分徹夜して、本を読んでおいた。しかも、要点は作文してある。

なので、「問題になっているのは、こういうこと。キーワードはこれ。なぜなら、こういう前提があるから。でも、この人は、別の論文では、このことをちがった視点から考察している。云々」と弁舌さわやか。

そしたら、先生、「そういう前提は日本にあるのか?この問いの普遍性についてどう考える?」と訊いてきた。

この瞬間、予習なんてやめておけばよかったとおもいましたね。そんなこと、急に訊かれたって、わかるわけないじゃん。わかったとしても、ドイツ語でいえるかってゆーの。

気まずい沈黙が30秒ほどつづき
(こういうとき、ドイツ人って、こちらの状況を察してくれないよね)、
仕方ないので、日本人の考え方がいかにヨーロッパの影響を受けているかについて、適当にしゃべってお茶を濁していたら(もうボロボロでした・・・。頭のなかは真っ白。話しながら、文法の間違いや、えらんだ単語が適当でないことに気づいたり・・・)、他の学生が口をはさんでくれて、なんとかお役御免。

やっぱり、こっちの人は、とことん訊いてきます。議論を展開させて、考えをふかめることが大事だとおもっている。予習も必要だけど、つねに、もっと大きな枠のなかで物事を考えておかないと、いざというときに困ります。
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by kalos1974 | 2005-04-19 18:42 | 日記

ドイツもおなじか・・・

4月13日(水)

お昼すぎ、アマーリエン通り Amalienstrasse を歩いていたら、とつぜん声をかけられた。おどろいてふりかえったら、冬学期の演習でお世話になった A 先生が、カフェのテラスにすわっておられた。

話しているうちに、なんとなく、私も、コーヒーとケーキを注文することに。最初は、当たり障りもない会話だったけど、そのうち、大学で職を得るのがいかに大変かという話題に。

ドイツにもポスト・ドクターがたくさんいることは知っていた。でも、当事者から話を聞くのははじめてなので、興味津々。 A 先生の先生は、私がミュンヘンにくるにあたってお世話になった H 先生。 H 先生の退官後、そのポストはなくなってしまった。何人かの門下生は、非常勤として大学で教えているが、定職に就いた人はいないとか・・・。そういえば、妻が語学学校で習っている J という人も、 H 先生の学生だったそうだ。定職がないから、アルバイトで、ドイツ語を教えているらしい。 A 先生も、「ビルの管理会社でアルバイトをして、生計を立てている」とおっしゃっていた・・・。
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by kalos1974 | 2005-04-13 03:54 | 日記