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見苦しい光景

9月26日(月)

先週末は東京へ。初日は実家に泊まったが、つぎの日はおそくまで友達と飲み歩く予定だったし、連日両親と顔をあわせるのも、なんだか鬱陶しい(仲がわるいわけではないです)ので、二日目は新宿の某ホテルに宿泊。

西口から連絡バスに乗ってホテルにつくと、レセプションで40歳くらいのおじさんが声を張りあげている。別に聞きたくないのだけれど、声がおおきいから、どうしても、内容がわかってしまう。

「あんな部屋だったら、格安で泊まったよ」とか、「どうしてもっといい部屋にならないんだ」とか。要するに、正規料金で予約したのに、ふつうの部屋だったのが、お気に召さないらしい。

いまどき正規料金でホテルに泊まる人はすくないだろう。私も、ネット経由の格安料金で予約したし、無料でコーヒーが飲めるというので、そのホテル・グループの会員(会費なし)になっていたりする(笑)。格安料金だからといって、もちろん、ひどい部屋にとおされることはない。運がよければ、うえのランクの部屋を用意してくれることもあるけど、私など、ふつうの部屋で充分快適。

おじさん、自分は「正規料金」で予約したのだから、きっと豪華な部屋、ひょっとしたら、スイートに泊まれるかもしれないと期待していたらしい。

しかし、おじさんの予約は、あくまでスタンダード・タイプの客室であり、料金も、スタンダード・タイプの正規料金なのだ。

もしクラブ・フロアやスイートに泊まりたければ、そういう部屋を予約して、それに見合った代金を払うのが当然だとおもうのだが、おじさん、そうは考えていないらしい。私が聞いた範囲では、ホテル側に落ち度はない。でも、おじさんは、私がチェック・インをおえてエレヴェーターにむかうときも、あいかわらず、わめいていた。

あまりのしつこさに、「ひょっとしたら、愛人でも連れているのか?」と勘繰ってしまった(笑)。もしそうなら、もっとゴージャスなホテルがちかくにあるのだから、そっちにいけばいいのに。でも、ああいう人だから、やっぱり、けちったのだろうか・・・。そもそも、そんなけちに愛人がいるだろうか? ・・・。

おじさんをめぐって、いろんな妄想が、どんどん湧いてくる【=妄想族】。おもわず、飲み会でも、この話をしてしまった。
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by kalos1974 | 2005-09-26 12:12 | 日記

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、シュターツカペレ・ドレスデン、ベートーヴェン《交響曲第9番》

9月19日(月・祝)

これは帰国直前にシェリング通り Schellingstraße の CD 屋さんで買ったもの。新品なのに、たしか3ユーロほど(約400円)だった。

ブロムシュテットがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した《第九》には、たしか2種類ある。ひとつは全集に入っているもの。中庸を得た演奏で、この楽団の深く輝かしい響きを味わえる。もうひとつは、1985年の、ゼンパーオーパー再建記念演奏会の模様を収録したもの。この演奏は、以前のぞいていた、インターネットの某コミュニティーで絶賛されていたが、「ずっとまえに廃盤になったので入手困難」とも書かれていた。

ミュンヘンを去る数日まえ、大学の某氏に挨拶したかえり、なんどかのぞいた CD 屋さんに入ると、《第九》の CD が平積みにしてあった。いかにも安っぽいデザイン。何気なく裏返すと、

E. Wiens, Soprano
U. Walther, Alt
R. Goldberg, Tenor
K.-H. Stryczek, Bass-Barion

Staatskapelle Dresden
Herbert Blomstedt

2003 Delta Music GmbH, 50226 Frechen(ちなみに、Frechen というのは、ケルン近郊の町)

と書いてある。

おや、ブロムシュテットの《第九》じゃないか。独唱陣は聞いたことないな。まてよ、たしか、全集版では、ペーター・シュライヤーとテオ・アダムが歌っていた。ということは、これこそ、うわさのライヴ盤ではないか? どきどきどき。さっそく、店員に訊いてみたけど、返事は、「さあ Keine Ahnung」。ジャケットにも、上記以外の情報はない。見逃すのも腹立たしいし、「まあ、3ユーロだから」とおもって買ってみた。コンピューターで聴いたところ、最後に拍手も入っているし、おそらく、さがしていた CD だろう。日本にかえってから、きちんとした再生装置で聴こうと、たのしみにしていた。

演奏は、常套句で恐縮だが、音が燃えている。第1楽章冒頭からひきこまれ、異常な緊張感に身じろぎもできず、聴きとおしてしまった。とにかく、演奏者の気迫が、そのまま音になっている。

ゼンパーオーパーの再建記念演奏会という歴史的な場だから、このような演奏が生れたのだろうか。以前紹介したように(旅行記参照)、ドレスデンは、戦争末期、連合軍の爆撃によって、ことごとく破壊されてしまった。劇場再建は、ようやく訪れた復興のシンボルだったろう。この演奏には、東ドイツ市民の思いが反映されているのではないか。そんなことを考えてしまった。

弦の厚み、金管の咆哮、ティンパニの迫力、・・・、圧倒的な迫力で、音楽がすすんでいく。とはいえ、ただ「熱い」だけではない。第3楽章の繊細でやわらかな響きや、第4楽章のバランス感覚を失わないテンポも、特筆されるべきだろう。

うわずったところもあるし、独唱者に難がないではない。しかし、これほど息のぬけない演奏はめずらしい。日本国内で手に入るかどうか知らないが、もし見かけたら、買って損はないとおもう(もし気に入らなくても責任はもちません。たぶん廉価版だし、勘弁してください)。
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by kalos1974 | 2005-09-20 10:00 | CD・DVD

クライバー指揮、バイエルン国立歌劇場管弦楽団、ブラームス《交響曲第4番》ほか

9月15日(木)

今日はお休みなので、午前中、帰国直前に購入した DVD を鑑賞。

これは、1996年10月21日に、ミュンヘンのヘラクレスザール Herkulessaal der Residenz, München でおこなわれた演奏会を収録したもので、演目は、ベートーヴェン《コリオラン序曲》、モーツァルト《交響曲第33番》、それにブラームスの《交響曲第4番》。

バイエルン国立歌劇場 Bayerische Staatsoper (最近、州立歌劇場という表記も見られるが、バイエルン、とくにミュンヘンの人たちは、国立歌劇場と訳さないと怒るだろう。バイエルンはいまでもひとつの国であって、ベルリン中心のプロイセンやドイツとはちがうのだ・・・笑)のホームページによると 、クライバーは、1968年、《薔薇の騎士》でデビューして以来、この劇場で、260回以上の公演(オペラとアカデミーコンサート)を指揮したらしい。なお、最後の公開演奏会は、1996年の4月に、インゴルシュタットでおこなわれたとある。ということは、 DVD におさめられたコンサートは、非公開だったのかもしれない。


さて、映像を見て、驚いた。

「クライバーも老けたなあ・・・」。

手や首筋が老人になってる。それに、どこかつらそうな顔。1986年の5月、人見記念講堂で感じた若々しさは、かなり失われてしまっている。ときおり、独特の、やんちゃ小僧のような表情を見せるものの、やはり、老けこんでいる。う~ん、人間って、たった10年で、こんなに歳をとるものなのか・・・。1930年生れだから、クライバーは、このとき、66歳。仕方ないといえば仕方ない。

でも、この「老い」が、ブラームスの《交響曲第4番》には、ぴったりだったりする。指揮者をながめながら、「人間だれしも歳をとる。そして、ひとりで死んでいかなければならない」なんてことをおもった。

《交響曲第4番》は1884年に書かれはじめ、1885年の夏に完成された。ブラームスは52歳だった。1883年にはヴァーグナーが亡くなっている。ブラームスは、ヴァーグナーから非難されたが、それでも、ヴァーグナーをずっと尊敬していたという。その死を聞いたとき、「巨匠が亡くなった。今日は歌うものはない」といったという話ものこっている。敬愛するクララ・シューマンも60歳代なかば。そんなことを考えると、この曲には、人間が「老い」、死にゆくことが反映されているのかもしれない。

私自身、これまで、《交響曲第4番》に「老い」の影を見たことはなかった。いつも連想するのは、黄色い木の葉の舞うプラーター。外套の襟を立て、ひとりさまよう男。そんなイメージ。それは、守旧派のレッテルを貼られながらも、伝統的な構造のうちに独自性をもとめた作曲家の孤高かもしれないし、神が死んだ時代を、なにものにも頼ることなく、ひとりで生きていかなければならない近代人の寂寥感かもしれない。

クライバーの演奏には、そんな孤独にくわえて、「老い」の切なさが、にじみ出ている。いかにも体調のわるそうな表情を見ていると、気の毒になってくる。指揮が音楽についていけない箇所さえある。あのクライバーが・・・。「老い」は残酷だ。もちろん、映像を見ているからそうおもうのであって、これが CD なら、そんなことを感じたかどうかはわからない。

クライバーは、ブラームスの《交響曲第4番》を、1980年の3月にウィーン・フィルと演奏している。名盤の誉れたかい CD だけれど、実は、私、それほど気に入っていない。文句のつけにくい演奏ではあるが、きれいにまとまりすぎている。響きも洗練されている。でも、私が、この交響曲に期待する「感情のたかまり」が、すこしだけ、足りない。ブラームスの旋律に耽溺する指揮者にくらべると、まだ満足できるが、フィナーレにむけてもっと疾走してほしかった(その点で、共感できるのは、フルトヴェングラーの演奏だが、 CD で傍観者的に聴くと、少々、やりすぎの感じもする)。孤独に足をすすめる人間の決意を描いてほしかった。

それに対して、この演奏は、ライヴだからだろうか、音楽に推進力がある。型にはまらない自由がある。 CD にはない、一期一会の迫力のようなものを感じる。ウィーン盤とくらべると、練りに練られた演奏とはいえないだろうし、様式美のようなものに欠けるかもしれない。でも、その分、生き生きとしている。

もちろん、実演なので、オーケストラに、こまかなミスや、響きの厚みがいまひとつ足りないと感じる箇所がないわけでもない(そういえば、人見記念講堂でも、あまりの速さに、木管? が音をはずしていた)。しかし、そうはいっても、バイエルン国立歌劇場管弦楽団はミュンヘンのほこる一流オーケストラのひとつ。それに、いわば、クライバーの手兵である。とくに問題は感じないし、このオケの優雅な響きは特筆されてもよい。


この DVD 、やたらクライバーのアップがおおい。なので、クライバー好きの方にはお薦め。指揮棒で音楽を描くような動きや、左手をふりまわす姿も健在。つかれた表情も、会心の笑みも見ることができる。それに、もちろん、オーケストラも映るので、視覚的にボウイングのズレなど確認できて面白い。買ってよかったとおもった DVD である。


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by kalos1974 | 2005-09-17 14:14 | CD・DVD

選挙の感想

9月12日(月)

ここ数日、六甲、芦屋、宝塚と飲み歩いておりまして、なかなか夜にブログを見れないでいます(笑。

ところで、昨日の選挙結果にかんして、enagaパパさんとふじさんが、コメントを記してくれました。お返事を書きはじめたのですが、長くなりそうなので、記事にします。

私自身は、自民党は240議席くらいかなとおもってましたので、結果(自民296)は意外です。

感じたことを列挙します。

1.日本人からバランス感覚まで失われた。
「勝ち馬に乗る」人がふえたのでしょうか? 他人は他人、自分は自分だとおもうのですけどね。戦前の「バスに乗りおくれるな」というかけ声を連想しました。
与野党が伯仲してこそ、活発な議論がうまれ、国民が政治について関心をもつのに、あれでは、どうしようもありません。与党は「信任をえた」わけですから、今後4年間、あらゆる問題で、数の論理が幅をきかせるでしょう。

2.思考停止
結局、終始、「郵政民営化」に賛成か反対かという話でしたね。このあいだ書いたように、これは実にわかりやすいメッセージです。民主党は、郵政より、もっと国民の琴線にふれるアピールをすべきだったわけです。
ですが、私などは、与党のメッセージにおどらされるほうがバカだとおもいます。というのも、何人かの友達に聴いたんですけど、郵政民営化に賛成といいながら、なぜ賛成なのか、明確にいえないんですから。しかも、民営化されたらどうなるのか、考えてないんですから・・・。友達も、「とにかく変えなければいけない」というだけで、どう変えるべきなのかは考えていなかったです。ある友人は、「岡田代表の演説のほうが理路整然としている」といいながら、「小泉首相の悲願を達成させてやりたい」ともいっていました。私にとっては、首相の悲願よりも、それによって、どれだけの人が、どういう影響をこうむるかのほうが重要なのですが、友人とおなじようにおもった人がおおかったのではないでしょうか。
新聞をきちんと読んでいる人でさえ、こうですから、マニフェストを真剣に比較検討したうえで、自民党に一票を投じた人がどれくらいいたか疑問です。

3.改革を待望
「よくわからないけど、とにかく、世の中を変えてくれ!」とおもっている人がおおいのでしょう。それだけ、政治や社会の仕組みが硬直し、閉塞感がただよっているわけです。景気はわるいし、制度は疲弊しているし、諸外国に友人はいないし・・・。1930年代に似てますね・・・。
私は、小泉首相の政策に、子どもっぽい頑迷さを感じるので、あまり支持できませんけど、しかし、「変える」という意志だけは、素直につたわってきます。そんな首相に、改革者を見た人たちが、飛びついたのでしょう。それだけ、人々が、追い詰められていると感じました。

瑣末な感想はほかにもありますが、まあ、こんなところです。

ちなみに、私は、ひそかに、自民でも民主でもない某党を応援してましたけど、予想どおり、埋没しました(笑。
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by kalos1974 | 2005-09-12 14:37 | 日記

・・・

9月11日(日)

哲郎くんが亡くなったそうです。

なんといっていいかわかりません。

くわしくは、旧居 http://blogs.yahoo.co.jp/kalos1974/ からトラックバックした enaga パパさんのブログと、 sarry さんのブログをご覧ください。
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by kalos1974 | 2005-09-11 15:33 | お知らせ

二者択一

9月9日(金)

今回の選挙、与党のうったえることは、「郵政民営化」の是非だけのようだ。コイズミもイカンザキも、「改革に賛成か反対かで一票を投じろ」という。

しかし、素朴な疑問。郵政の問題って、そんなに簡単なのだろうか。素人がすこし新聞を読んでも、さまざまな問題が錯綜しているとわかる。単純に、賛成・反対で、割り切れるものではなさそう。民営化自体には賛成だが、法案の内容に反対という人がおおいのもうなずける。

それに、そもそも、衆議院議員選挙は、郵政民営化に対する国民投票ではない。

日本がかかえている問題は多岐にわたり、まさに内憂外患。年金をはじめとする国内の制度は破綻寸前だし、外交面でもいき詰っている。近隣諸国との関係は悪化し、国連安保理の常任理事国入りの問題では、唯一の味方アメリカに裏切られたところ。

なのに、与党の訴えを聞いていると、まるで、郵政を民営化すれば、すべての問題が自動的に解決するかのようだ・・・。

二項対立はわかりやすい。賛成か反対、どちらかをえらぶだけでいい。でも、私など、「それって、問題隠しなんじゃないの?」と勘ぐってしまう。世の中、そう単純なものじゃないですよ。灰色の部分をどうするかによって、人間の価値は決まんじゃないのか? なのに、複雑なことにはふれないで、あえて単純を装う。国民の思考は停止する。

是か非。敵か味方か。この論法って、イラク戦争のときのブッシュに似ている。「アメリカのいうことをきかない奴はテロリストだ!」というあれ。その結果、世界とアメリカはどうなったか・・・。

コイズミは、自分がなにかを変えるとアピールするのがうまい。しかし、重要なのは、どういう方向にどう変えていくかであって、変えることそれ自体ではない。
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by kalos1974 | 2005-09-09 12:47 | 日記

逆カルチャー・ショック ・・・ それとも、単なる毒舌? その2

9月6日(火)

「ケルンだより その2」の tamayam さんが、「ふわふわした表現」という記事を書いておられた。同感することしきり。

たしかに、日本では、曖昧な表現が横行しているようだ。言葉は丁寧なのだが、なにをいいたいのかわからない。どうやら、用件や意見があるというより、漠然と、雰囲気をつたえたいだけらしい。そんな「押し売り」をされても、どう反応していいのか、当惑してしまうのだが。

婉曲表現は、言語文化の成熟を示してはいるだろう。しかし、明確な内容もないのに、婉曲表現というか、曖昧なものいいをされるので、つい、「この人、馬鹿?」などとおもってしまう。

私は、ドイツの田舎に滞在するのが好きで、これまで4回ほど、ゲーテ・インスティトゥートという語学学校にかよった。午前中の4時間はドイツ語の勉強。たまにおなじクラスに日本人のいることがある。独文科の学生などは、当然、文法はとてもよくできるのだが、授業中ずっと黙っている。はじめは、日本人独特の「謙虚さ」かとおもっていたけど、どうやら、そうではないらしい。いろいろ話を聞くと、話すことがないらしいのだ・・・。

中級3~上級のクラスでは、政治や社会の問題、環境意識、文化などがテーマになる。こういうテーマ、日本の若者にとっては、鬼門だ。たとえば、 カンディンスキーが話題になっても、黙っている。知らないから。シューベルトを知らない某有名大学生もいた。ドイツのことを知らないのは、まだ仕方ないとしても、「では、日本国民は、アメリカのアフガニスタン侵攻に対して、どうおもっているのか?」などと問われたら、お手あげ。知らないから。「日本の作家で、こういう意義のある人はいるのか?」と訊かれても、したを向く。知らないから。

ドイツまでいって、ヨーロッパ文化を学ぼうとおもっている若者でさえ、あまりにも、ものを知らない。知らないことについて考えることはない。だから、思考力も育たない。不思議なのは、恥ずかしいおもいをしたのに、レーンバッハ・ハウスにいって、カンディンスキーを観ようとしないこと。最近は、「知らない」のは、恥ではないらしい。

曖昧な表現の裏側には、知的好奇心の衰退が隠れているのではないか。メールにしても、議論にしても、確固とした意見を、曖昧表現でくるんでいるのではない。そもそも意見がないのだ。でも、自分の気もちや雰囲気だけはつたえたい。なので、妙に「ふわふわした表現」がいきかうことになる。帰国してまだわずかしか経たないが、そんなふうに考えている。
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by kalos1974 | 2005-09-06 19:40 | 日記

大型台風 接近中

9月5日(月)

台風14号が、935hPa という勢力をたもったまま、九州南部にちかづいている。実は、明日から、福岡にいくつもりだったが、急遽、キャンセル。訪問を予定していた某機関の何樫氏に電話すると、「こっちにこられても、明日は、うちも朝から休みかもしれませんし・・・」とおっしゃってくださったので、気が楽になった。ひさしぶりに会うはずだった友だちも、日程変更にこころよく応じてくれた。感謝。

そんなわけで、このあいだ会えなかった人たちに挨拶するために、東京にいこうかともおもったけど、なんと実家周辺で床上浸水。1時間に112ミリという集中豪雨だったらしい。えらいこっちゃ。どこにいっても、台風の影響は受けそう。自宅でおとなしく論文を書けということか。


新聞によると、今度の選挙で自民党が単独で過半数をとりそうだという。すごいね。

もちろん議会制民主主義は尊重するけど、でも、某公団を事実上放置する政策や、国債の増大、年金・福祉問題の切り捨て、弱者の負担増、アメリカ追従、近隣諸国との関係悪化といったことは、やはり、支持できない。

自分の頭でしっかり考えないで、掛け声に流された結果どうなったか、半数以上の日本人は学んでいないのかな。正直、そういう人たちと運命を共にするのは真っ平だねえ。

しかし、野党も不甲斐ない。政権をとったら、日本をどうするのか、具体的なイメージが見えてこないうえに、郵政論議におどらされている。投票する気になれないという人がいるのも肯ける。でも、それではいかんのだよ。だって、あとで泣くのは、自分自身なのだから。
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by kalos1974 | 2005-09-05 14:32 | 日記

高いなあ・・・

9月3日(土)

来週のはじめに、福岡を訪ねる予定なんだけど、大型台風が接近中。欠航するか、飛んだとしても、揺れるだろうなあ・・・。

演奏会やオペラのダイレクトメールが一度にとどいた。そろそろ音楽シーズンだものね。以下、コメント欄ではお馴染みの愚痴ですが・・・。

9月15日、ワルトラウト・マイヤーのリサイタル。ミュンヘンとウィーンで聴いたヴァーグナー歌手が、どんなブラームスとシューベルトを聴かせてくれるのか、とても興味があるけど、12,000円かあ。

10月13日、ムーティー指揮のウィーン・フィル。いきたい! でも、31,000円は、ちょっと高すぎやしませんか。だれか招待券くれ!

10月23日、プラハ国立歌劇場の公演。《アイーダ》。これも興味あるけど、21,500円ねえ。CD なら10枚以上買えるよね。

11月10日、ペーター・シュライヤー。この人はなんかい聴いただろう。《マタイ》や《美しき水車小屋》やその他もろもろ。引退しちゃうんだなあ。8,000円なら、いってもいいかな。

11月12日、デュトワ指揮のチェコ・フィル。13,000円かあ、悩むところだ。でも、曲目が、いまひとつ好みじゃないなあ。どうしよう・・・。

6月11日、メトロポリタン・オペラ。《ドン・ジョヴァンニ》。ネトレプコにパーペですか。しかし、60,000円。先行予約開始まで悩みそうだ。

以上のチケットをぜんぶ買ったとして、145,500円。3月か9月なら、ミュンヘンにいって、四つ星ホテルに5日間滞在できる金額だねえ。だったら、バイエルン国立歌劇場とバイエルン放送交響楽団、ミュンヘン・フィルのほうがよかあないかい。余裕があれば、ウィーンまで足をのばしてもいい。どうしよう・・・。

などという、お馬鹿な思案で一日がおわる。
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by kalos1974 | 2005-09-03 15:19 | 日記

障害者自立支援法案

9月1日(木)

夕刊を読んでいたら、連立与党は、廃案になった「障害者自立法」案を、あくまで成立させる意向だという。

障害者からお金をとる法律に、「自立」と名づけるセンスには、びっくりした。

私は、親族に障害者はいないが、だからこそ、なるべく、障害のある人たちの手助けはしたいとおもっている。

もちろん、「障害者」、とひとくくりにしてしまうのは危険だ。障害者とつきあうと、「ほんとうは、私のほうが不自由な人間かもしれない」とおもうことはしばしばなのだから。

でも、それは別の話。

学生のころ、ほんの短いあいだ、某施設で働いたことがあるけど、障害者たちからお金をもらおうなんておもったことはない。この法案を提出した人たちは、障害者が、どういう気もちで毎日生きているのか、どれだけ苦労してお金を稼いでいるのか、知っているのだろうか・・・。次国会で賛成票を投じる議員たちは、せめて、施設の見学くらいはしてほしい。

弱者を大事にできない社会は嫌いだ。
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by kalos1974 | 2005-09-01 23:48 | 日記