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荻窪のコーヒー店

11月14日(月)

ずっとコーヒーが苦手だった。胸焼けするし、第一、おいしいとはおもわなかった。

大学2年生のときだったろうか、そんな私を、コーヒー好きの友人が、このお店に案内してくれた。場所は、杉並区の荻窪。もちろん付き合いでついていったのだが、出てきたコーヒーを一口飲んでおどろいた。実にすっきりしている。なのに、適度にこくがあって、コーヒーを味わっているという満足感もえられる。それに、なんともいえない芳ばしい香り。
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ここのコーヒーは澄んでいる。透明なグラスに入れれば、向こうがきれいに透けて見えるんじゃないだろうか。味もそんな感じ。雑味がないのだ。

隠れ家ふうの雰囲気も好き。ひとりでいって、本を読むのに、ぴったり。気まぐれでかけてくれる音楽もいい。ジャズかクラシック。今日は、モーツァルトのピアノ協奏曲 K.466 と、バッハの《ゴルトベルク》(演奏はグールド。だってうなり声が)が流れていた。

さて、それ以来、このお店に通うことになった。大学からのかえり、渋谷で乗り換えればすぐうちにかえれるのに、わざわざ新宿を経由して荻窪まで。週に三日はいった気がする。1時間ほどいて、まだものたりなければ、もう一軒(笑)。名曲喫茶の「ミニヨン」、やはりコーヒーの名店である「荻窪珈琲店」を見つけたのも、このころだった。荻窪にあるお店のレヴェルは、鰻屋、蕎麦屋など、総じてたかい。いわゆる「文化人」(このブログを訪れる人にお馴染みなのは大田黒元雄だろうか。私は読んだことがないけど。有名なのは、井伏鱒二だろうな)や政治家(代表的なのは近衛文麿かな)が多く暮らしたからかもしれない。
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頻繁に通えば、お店の人とも仲良くなる。趣味の会(といっても、区のホールを満席にするほどのステージなのだが)に招待してくれたり、懇意にされている某直木賞作家に紹介してくれたりもした。

もともと病弱だったマスターが亡くなり、いまは奥さんがひとりでお店を切り盛りされている。こんなブログに影響力があるとはおもえないが、万が一、お客さんが殺到したりすると迷惑なので、店名は伏せておく。もし、いってみたい人がいたら、北口タクシー乗り場の裏のほう、煉瓦造りの建物をさがしてくださいね。


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by kalos1974 | 2005-11-14 17:39 | 食べもの・飲みもの

天亭

11月14日(月)

上方に住んで、食べものにおどろいた。どこで食べても、まずいものにあたらない。それに、安い。東京には、おいしくないものを出すお店がたくさんある。しかも高い。それでもなかなかつぶれないのは、人が多いからだろうか。

関西の食べものに文句はないけれど、でも、たまに食べたくなるのは、東京風の天ぷら。ごま油の香り、かりっとした衣、ふっくらあがったたね。単に好みのちがいだろうが、そんな天ぷらは、関西では、なかなか食べられない。

お昼ごろ羽田につくときは、だいたい、このお店に向かう。京浜急行と都営浅草線で新橋まで30分くらい(直通運転)。新橋から5分ほど歩けば、銀座、花椿通り。わくわくしながら暖簾をくぐる。

有名なお店らしい。なんども TV で紹介されていると聞いた。なのに、味が落ちない。えびにしても厳選されているのだろう。ぷりぷりしてほんのり甘い。「ふだん食べているえびはなんなんだろう?」とおもう。ほんのすこし苦味のあるころもが、えびの甘さをひきたて、ごま油の香りが全体をつつむ。アスパラガスは、ジューシーで、えもいわれぬ香りが鼻を通りすぎていく。

以前このお店に閉じ込められたことがある。かえろうとしたら、突然の集中豪雨で、どうしようもなくなったのだ。1時間ほどご主人と世間話をしたが、天ぷらへの熱意はものすごかった。まさに職人。

懐に余裕のあるときはコースもいい。これからの季節だと、鱈の白子やカキを上手にあげてくれるだろう。もちろん半生だが、まったく生臭くなく、感じるのは、凝縮された旨味のみ。

私が注文するのは、だいたい、天丼。丼つゆのからまった天ぷらとご飯のハーモニーがたまらない。2,500円。銀座価格・・・。でも、実際に食べると、この値段でも、そんなに儲かっていないだろうとおもう。

天ぷらを堪能したあとは、近所の資生堂パーラーで精妙なデザートとこくのあるコーヒーを楽しみたいところだが、もっと銀座価格なので、用心しないと・・・。


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by kalos1974 | 2005-11-14 17:33 | 食べもの・飲みもの

グリル・マルヨシ

11月12日(土)

週に一度、天王寺で乗り換えることになって、まずさがしたのは、おいしいものを食べさせてくれるお店。ちょうどお昼すぎにとおるので、手軽なランチを食べさせてくれるところを見つけたい。

天王寺。東京でいえば、上野か浅草の雰囲気だろうか。お世辞にもきれいな町とはいえないけれど、昭和の風情が色濃くのこっている。そぞろ歩くのがたのしい。しかし、そんな町のあちこちにも、最近、あいついで高層マンションが建てられている。

このお店は偶然見つけた。お金をおろしに入った駅前の銀行のまえにちいさな路地。路地の入り口には「石炭ストーヴでつくるフランス料理」という看板が出ている。ランチは1,200円だという。少々たかいけど、面白そうなので、入ってみた。

お店は、まさに下町の洋食屋さん。「フランス料理」を謳っているが、メニューを見ても、ポークカツ、ビーフカツ、オムライス、ロールキャベツなど、洋食の基本がずらり。近所のおじさんたちが世間話をしながら、あるいはスポーツ新聞を片手に、ハンバーグなんかを食べている。

1階はカウンター席のみ。カウンターの向こうはすぐ厨房。看板の石炭ストーヴのまえで、4~5人のコックさんたちが、いそがしそうに働いている。よくぶつからないものだ。せまい店内に、皿洗いや会計のおばさんもあわせると、5~6人の従業員がひしめいている。

はじめていったときに食べたのはランチ。ポークカツとハンバーグの盛り合わせだった。「これはすごい!」ともおもわなかったが、丁寧につくられているのはわかった。カツをあげた油がいい香り。

うちにかえってからインターネットでしらべると、それなりに有名なお店らしい。1946年創業。ロールキャベツが名物とあったので、二度目にいったときは、それをたのんだ。しかし、評判倒れ・・・? キャベツは繊維が硬いうえに、水っぽい。いまは、キャベツのおいしい季節ではないのかもしれない。

洋食屋さんで好きなのは、ドミグラス・ソース。ハンバーグにかかっていたソースも、ロールキャベツにかかっていたソースものこしたくない味だった。というわけで、三度目に食べたのはハヤシライス。これにはかなり満足できた。くどくなく、甘すぎない。すこし苦味を感じるのは、たぶん、関西風。芳ばしい香りと、まろやかな味。石炭ストーヴの魔力だろうか。さっと炒めたタマネギも、シャリシャリ感がのこっていて上々。

「フランス料理」のお店なので、夜はコース料理も出しているようだ。でも、どちらかというと、カツレツや、ドミグラス・ソースをつかった料理を、気どらずに食べるほうが、お店の雰囲気に合っているとおもう。


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by kalos1974 | 2005-11-12 17:29 | 食べもの・飲みもの

「最高の演奏」

11月11日(金)

音楽にくわしい人からある CD を薦められて、店頭では手に入りにくいそうなので、 HMV のホームページで検索して、注文したところ。

HMV のホームページは、まえに一度訪れたことがある。そのとき、いろんな人の書いている CD 評を見て、好き勝手な意見が多いので、「ここはあまりのぞきたくないな」とおもった。今日あらためて読んでみて、やはり、つかれた。

まず違和感を感じるのは、「これ以上の演奏はない」、「これさえあればほかの CD は要らない」といった書き込み。ほんとうに、そんなことがいえるのだろうか?

素朴な疑問だが、「これが最高の演奏だ」といいきれる人は、何回コンサートに通い、何種類の CD を聴いたのだろう?

たとえば、ふじさんが最新の記事でとりあげている K. 551 の交響曲、私の手許には、いま、14種類の CD がある。

べーム/ベルリン・フィル
べーム/ウィーン・フィル
クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団
シューリヒト/ウィーン・フィル
アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団
ワルター/コロンビア交響楽団
セル/クリーヴランド管弦楽団
ヨッフム/ウィーン・フィル
ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン
クーベリック/バイエルン放送交響楽団(スタジオ)
クーベリック/バイエルン放送交響楽団(ライヴ)
ヴェーグ/カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク
テンシュテット/北ドイツ放送交響楽団
スイトナー/シュターツカペレ・ベルリン(日本公演、ライヴ)

このなかで、「どれが最高の演奏か?」と訊かれても困る。いちばんよくかけるのはセルだけど、「最高」かどうかはわからない。

そもそも、藝術において、「最高」ということがいえるだろうか?

もちろん、いいものはいいし、わるいものはわるい。だが、ある一定のレヴェルを超えた演奏のなかで、どれが「最高」なんだろう? 一番よい演奏を決めることなんてできるのだろうか? 「最高」がいくつかあってもよいのが、藝術の世界なんじゃなかろうか? もしそうだとしたら、「これ以外は要らない」とは書けないはずだ。

演奏にケチをつけている人もいる。だが、非難する人は、なぜそういう演奏が生まれたのか、考えているのだろうか? 今日読んだかぎりでは、演奏者の意図にまで踏み込んで批判している人はいなかった。

権威をもちだしている人もいる。たとえば、「フルトヴェングラーにくらべると、精神性がたりない」といった類のもの。おいおい、「精神性」ってなんだよ? そんな曖昧なことをいわれても、フルトヴェングラーは困惑するだけだろうに・・・。

最後に。一番気になったのは、私もよくやるのであまり書きたくないけど、「よい」、「すばらしい」、「きれい」といった表現。読むほうは、当然、「どのようによくて、どれくらいすばらしくて、なぜきれいなのか」を知りたい。だが、そういうことは書かれていない。だいたい、「○○の演奏はいいです。これ一枚あればほかは要りません」という評があり、そのうえに、「これはひどい。クナッパーツブッシュがいぜんベストといわざるをえない」などと反論してある。私には、どちらの意見も信用しにくい。

クラシック音楽が好きなのはわかる。自分のもっている CD のよさを伝えたいのもわかる。けれど、やはり、すこし独りよがりなのではないか?

さて、私。ここに、 CD や DVD の感想を記している。もちろん、客観的に批判しようなどとはおもっていない。印象が変わることもあるのだから、そんなことは無理。あくまでも、そのときの、私の、感じたことを書いているだけ。しかし、そうはいっても、もっと、藝術というものについて考えたうえで書かないと、演奏者にも、読んでくださる方にも、失礼ではないだろうか。他人の CD 評に悪態をつきながら、そんなことをおもった。


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by kalos1974 | 2005-11-11 17:09 | 毒(いいたい放題)

「責任」の欠如

11月7日(月)

昨日は京都で研究会。ずいぶんご無沙汰してしまった先生方と再会。ある先生に「日本には慣れた?」と訊かれたので、正直に、「西欧は罪の文化といわれ、それがまだ生きています。『神さまがごらんになっているから』といって、自分を律している人が多いです。日本は恥の文化といわれますが、恥をかくことに抵抗を覚えない人が増えました。むかしは、『世間に顔向けできない』なんていう言葉もありましたけど、いまは『世間』が機能していないですね。なんでもありの国におもえます」といったら、「日本は責任をとらない社会やから」と、靖国の話をされた。

先生と私の意見はほぼおなじ。

十五年戦争で日本だけがわるかったとはおもえない。東京裁判で正義がおこなわれたともおもえない。

しかし、では、誰があの戦争に責任があるのか? なぜ300万人以上が殺されるようことになったのだろう? 日本人が、戦争指導者を、自分たちで裁いたことがあっただろうか・・・? 東京裁判を非難する人たちも、この点になると、沈黙する。責任の所在はあいまいなまま。全体責任という人もいる。聞こえはいいが、要するに、だれも責任をとらないということ。

小泉「首相」の靖国参拝に近隣諸国から非難があつまっている。

念のために書いておくと、中国や韓国は、日本人が戦没者を慰霊することに対して文句をいっているのではない。戦争の被害者を悼む気もちは万国共通。両国といえども、そんなことに難癖をつけたりしない。

問題は、戦争指導者の合祀。日本は、サンフランシスコ平和条約で、東京裁判を国際的に受け入れた。つまり、戦争犯罪人をみとめた。A級戦犯たちによって、戦争が遂行され、おびただしい数の人間が殺されたことを反省したわけだ。

なのに、その責任者が神社に祀られ、首相が頭をさげる。

靖国に参拝したいのならば、まず、東京裁判を吟味しなければならない。そして、もし不満なら、自分たちの手で、「戦争がなぜ起こったのか?」、「責任者はだれなのか?」、「甚大な被害をあたえた国々にどう接していけばいいのか?」といったことに、答えていかなければならない。そのうえで、日本人の出した結論が国際的にみとめてもらえるように努力する必要がある。

そうした手続きをとらないで、いきなり、首相が戦争犯罪人を詣でる。「シュレーダーがヒトラーの神殿を参拝する」のとおなじくらいの衝撃を、世界にあたえていることに気づかないのだろうか? そんなことをしているのに、国連安保理の常任理事国に立候補したって、門前払いされるのが関の山だ。「理屈の通じない国には、拠出金だけお願いしたい」となるのは当然。

マスコミは、こんなごく当り前のことを報道しない。反日デモの激しさをとりあげて、われわれに妙な愛国心を植えつけたり、中国や韓国の歴史教育がおかしいとあげつらったりする。しかし、他の国に文句をいうまえに、自分の脇を固めておかなければ、どうしようもない。

「適当に頭をさげておけば水にながしてくれる」とか、「そのうちわすれてくれる」などという考えは、「罪の意識」も「恥の意識」もない国でしか通用しない。


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by kalos1974 | 2005-11-07 17:06 | 日記

カラヤンとヒルトン

11月5日(土)

ふじさんによると、私はカラヤン嫌いらしいが、本人は、そうでもないとおもっている。

実家には、カラヤンのレコードが何枚かあったし、自分で最初に買った CD は、カラヤンの指揮するベートーヴェンだった。クラシックを聴きはじめた多くの人がそうであるように、私も、一時、カラヤンの CD ばかり集めていたこともある。しかし、いろんな人の演奏を聴きくらべるうちに、だんだん、カラヤンから離れていった。

もちろん、演奏のレヴェルが低いわけではない。ただ、とくにドイツ語圏の作曲家の交響曲などを聴くときに、「カラヤンでなければ」とおもわなくなっただけ。

そんなカラヤン、私のなかでは、なぜかヒルトン・ホテルと重なる。世界中どこにでもあるところが、どんな曲でも録音したカラヤンに似ているからだろうか。

ヒルトンといえば、それなりにステイタスがある。一流ホテルとして認知されているかもしれない。実際、とりあえずヒルトンに泊まれば、まず、不愉快なおもいはしないだろう。

しかし、どこのヒルトンに泊まっても、雰囲気はみなおなじ。最初のうちは安心するが、そのうち、つまらなくなってくる。いろんなホテルを利用するようになると、ヒルトンでは物足りなくなってくるのだ。

たとえば、シンポジウムかなにかで、大阪にだれか招くとして、私なら、ヒルトンを用意するだろうか? たぶん、伝統や格式を好む相手にはリーガロイヤル、明るく快適な客室を重視する人にはウェスティン、ブランド志向の先生にはリッツ・カールトンをえらぶだろう。

もしお金がたくさんあって、どこにでも泊まれるとしたら、ヒルトン・グループのホテルを利用するだろうか? 私はミーハーなので、ロンドンなら、クラリッジズやランガムに泊まってみたい。パリだと、ジョルジュ・サンクかル・ブリストル。ウィーンなら、シュヴァルツェンベルクやコーブルクかな。ヒルトンとおなじようにチェーンを展開しているグループでも、フォーシーズンズやウェスティン、インターコンチネタルのほうを優先したくなる。あるいは、ペンションに長期滞在というのもいい。

とはいえ、ヒルトンにもいろいろある。ここではヒルトンに泊まりたいとおもう町もある。まったく知らない土地にヒルトンがあると安心したりもする。

カラヤンもおなじ。ある種の曲はカラヤンで聴きたい。これはカラヤンがいいなあとおもう曲もある。けれども、そういう作品が、私の場合、なぜか、多くないのだ。嫌いというより、関心をうしなってしまったといったほうが正確かもしれない。


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by kalos1974 | 2005-11-05 17:04 | 毒(いいたい放題)

うらやましいような、勿体ないような

10月31日(月)

帰宅すると、数年前、結婚式をあげたホテルから、情報誌がとどいていた。ほとんど利用していないのに、毎月おくってくれる。律儀なものだ。

いつもなにか案内が同封されているのだが、今回は、「モーツァルト生誕250周年記念 欧州音楽の旅8日間」というパンフレット。

日程は、

1月22日(アムステルダム)
ラトル指揮ベルリン・フィル演奏会

1月23日(ウィーン)
《フィガロの結婚》

1月24日(ウィーン)
《魔笛》

1月25日(ザルツブルク)
リンツとザルツブルク周辺観光

1月26日(ザルツブルク)
ムーティー指揮ウィーン・フィル演奏会による祝賀演奏会
ソリストは、T. ハンプトン、内田光子、G. クレーメルら。

というもの。

宿泊するホテルもそれなりのところばかりだし、飛行機はビジネス・クラス。「いいなあ、お金があったらいきたいなあ」とおもって値段を見ると、1,180,000円! なんだあ、桁がちがうぞ。たった8日間の旅行に百万円とは・・・。

正直、自分で手配すれば、半額以下でいけるとおもう。そのほうがきっと楽しいだろうし。

それにしても、不況といわれてひさしいけど、世の中には、こういうツアーに気兼ねなく参加できる人もいるんだよねえ・・・。
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by kalos1974 | 2005-11-01 16:01 | 日記

センチメンタルな強さ

10月30日(日)

TV はいつものようにつまらないし、クラシック音楽をかける気分でもなかったので、ひさしぶりに、エディット・ピアフ Edith Paif の CD を聴いた。

《あなたの目より青い Plus bleu que tes yeux》では、「あなたの目より青いものはない。あなたの髪より黄金に輝くものなんてない」と歌う。

真実はちがうとわかっていながら、愛する人以外を見ることができない。そんな一途な思いを、ピアフは、伸びやかに、そして繊細に、不安そうに歌いあげていく。

マルセル・セルダン Marcel Cerdan の死をきっかけとして生まれたといわれる《愛の賛歌 Hymne a l'amour》。

「あなたがのぞむなら、髪をブロンドにしてもいい、月をとりにいってもいい、財宝を盗んでもいい、祖国を捨ててもいい、友だちを捨ててもいい、嗤われたって平気、なんでもしてみせる」。

儚さや危うさも感じさせるが、やはり、一途な思いにみちている。怖いくらいの一途さが、強さとなって、棘のように刺さってくる。

ピアフは、女のかわいらしさから強さまでを、これ以上なく、切実に歌いきっている。そこには、なんの隠しごともない。歌に、自分のすべてがぶつけられている。赤裸々すぎて、たじろぐくらい。ここまで歌える人がいたんだ。

ふだんは、クラシックばかり聴いているけど、今日は、ひさしぶりに、「他の分野の音楽も聴かないと勿体ない」とおもった。
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by kalos1974 | 2005-11-01 15:59 | 日記

立ったままお化粧をする女

らびさんにならって、かなりの毒舌と自覚した記事には「(毒)」をつけることにしました。偽りのない本音ですが、人によっては不快におもわれるかもしれません。


10月29日(土)

昨日、阪急神戸線で、立ったまま、お化粧をしている女性を見た。座って目の周りをいじっている女性は何度も見かけたけど、立ったまま睫毛に器具をあてているのは初めて。あれにはまいった。びっくり。危なくないのか。
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それにしても、車内でお化粧をしている女性に美人がいないのはなぜだろう。いままでのところ、例外はない。要するに、電車のなかでいじれる程度の顔だってことか。自分の顔に対して、思い入れのない輩が、人前でお化粧をしているということなのか。

美しい女性は、家で、念入りに顔の手入れをしているだろうし、そもそも、みっともない姿を衆人にさらすことには抵抗があるにちがいない。そうしたプライドが美人を美人たらしめているような気がする。たぶん、矜持が美人をつくっている。
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by kalos1974 | 2005-11-01 15:54 | 毒(いいたい放題)